祖霊崇拝、輪廻、見失われた死の意味
亡母・慧子(戒名:清華院敬信慈慧大姉)の七回忌法要を、淺野家の鎌倉側の菩提寺、功臣山報国禪寺で妹弟家族としめやかにおこない早5年。
「葬式無用 戒名不用」と言い残したのは白州次郎。私もそれで結構だが、母は生前、常々、親族だけで弔い、先に逝った夫(私たちにとっては父)と共に埋葬して欲しいと言っていた。もっとも、まだまだ何十年か先のことだと母自身も私たちも信じて疑わなかったのだが・・・。もう6年もたってしまった。
年忌法要の風習は日本で始まったもので、仏教のもともとの風習ではないだろう。
亡くなってから「3」「7」のつく年忌の年に行なわれる理由には諸説あるが、一番説得力があると感じたのは以下の説。
仏教で大切にする数字が、「3」と「7」だそうだ。
「7」は、釈迦が生まれたとき七歩歩いたという伝説も有名だが、これは、私たちの迷いの姿である「六道」の世界を超えて悟りに至る、ということを暗示しており、そこから「6」を超える=「7」という数字が、迷いを超えるという意味で大切にされると言われている。
また、「3」も同じく、「2」を超えるという意味だそうだ。「2」を超えるというのは、「有・無」「勝・負」「損・得」というような両極端に偏った考え方を離れ、中道の生き方をするということを意味する。中道と言うのは、仏教でさとりを目指す上で大切な考え方であり、釈迦も息子のラゴラ尊者に、「二を超える生き方をせよ」と語っている。そういう意味で「3」という数字も大切にされるそうだ。
本来仏教は死を穢れと考えないので、死を忌むという考えはないが、「忌」と言う漢字が使用されている。机上の白川静の常用字解で調べてみると、『「忌」は折れ曲がる形、ひざまずいてからだを曲げる「己」と「心」を組み合わせたもので、ひざまずいてつつしんで神に仕えるときの心情、思いをいう字であろう。禁忌(けがれがあるとして禁止すること。タブー)を守り、身を清め、つつしむことを「いむ」という』、とある。○○忌と言う言葉や風習は、中国に仏教が伝来した後で、祖先崇拝をベースとする儒教の影響を受けたものだろう。そしてさらに日本に定着していく過程で、仏教は祖先崇拝と融合していったのだろう。
輪廻と解脱を中心思想とする仏教では、本来、死者の祭祀はあり得ない。死者は輪廻し、もはや生まれ変わって生きているか、あるいは解脱していて祭祀する必要がないからだ。
儒教は「孝」の論理による、祖先崇拝という過去・現在・未来へと直線的に受け継がれ連続していく時間概念を持っているとすれば、仏教は輪廻という循環的な時間概念と、解脱という循環から解き放たれて語りえないものへとジャンプする非時間的な志向を持っている。
日本における仏教は、祖先崇拝とご先祖様のご加護(守ってくれる)による子孫の繁栄をいう、儒教的な色彩も強い。仏壇の位牌に手を合わせて祖先を祭祀することも、仏教ではなく儒教の儀礼である。
この祖先崇拝や「孝」の考え方を為政者が統治の論理として利用してきたことも事実だ。
「南総里見八犬伝」に出てくる八犬士は、仁義礼智、忠信孝悌の8つの徳目を持った人物が活躍する。仁(誰それと隔たりなくいつくしむ心)、義(義理人情を尽くす心)、礼(礼儀を重んじ感謝する心)、智(善悪を見分ける心)、忠(まごころで仕える心)、信(信じる心)、孝(先祖を大切にする心)、悌(仲良くする心)。そしてさらに、胆(ものごとに動じない心)と勇(やり遂げんとする心)が加えた10の徳目が、日本人の行動と内面の道徳として大きな影響を与えてきたが、現代を生きる私たちは急速にこれらの徳目を風化させていきつつあり、同時に仏教にせよ儒教にせよ、私たちに死の意味を与えてきた準拠枠が解体しつつある。現代人にとり死は見失われている。
三浦展さんの新訳によるマックス・ウェーバーの『職業としての学問』の中に、死をめぐってトルストイの出した結論が語られている。そこでは進歩・近代化という脱魔術化の過程の根源的な意味が問われていて、高校時代に非常に影響を受け、いまでもその呪縛から脱し切れていない。
『現代訳 職業としての学問』マックス・ウェーバー/三浦展・訳 プレジデント社 P40~42
・・・・・・・・引用開始・・・・・・・・
トルストイは、果たして死には意味があるのかという大問題をめぐってずっと頭を悩ませ苦しんでいました。
彼の答えは、文明人にとって死は無意味だ、というものでした。
われわれ文明人の人生は、進歩の中に、あの終わりのない進歩の中に位置づけられていますから、本質的のもうこれでよいという意味で終わりを持つことが許されない。だから文明人にとって死は無意味だというのです。
文明人は、進歩のプロセスの中に立っています。そして彼の目の前には、つねにさらなる進歩がある。だから、その終わりのないプロセスの中では、文明人は誰も頂点に立つことがないのです。
アブラハムや、また一般の古代の農夫たちは、年老いて、満足して死んでいきました。なぜなら、彼らの人生は生命としての有機的な循環の中にあったからです。彼らは、年を取れば人生が彼らに約束した意味を知ることができました。彼にはもはや、解きたいと思う謎は残っていません。だから彼はもう十分に人生を生きたと思えたのです。
ところが文明の中では次々と新しい思想や知識や問題が増え続けていきます。私たちはそういう時代に生きている。
だから、人生に満足することができず、生きることが嫌になってしまう。人生に徒労感を覚えて疲れてしまうのです。
私たちは、文明が次々と生み出す新規なものについ目を奪われてしまいます。しかし、それはまったくつまらないものです。
ただの流行にすぎず、不易なものはありません。
だから、私たち文明人にとって死はまったく無意味な出来事でしかなくなるのです。
死が無意味だとしか思えないのですから、現代の文明生活自体も無意味だとしか思えません。
文明生活は、まさにその無意味な進歩性ゆえに人の死に「無意味」の烙印を押してしまうのです。
・・・・・・・・引用終了・・・・・・・・
このような時代の宿命や仕事について、この後、ウェーバーの考えが展開されているが、現代人の死に押された「無意味」の烙印を塗抹できたとは言いがたいニヒリズムと絶望が色濃く漂っている。
この講演がミュンヘン郊外の書店のホールでおこなわれた二年後の1919年には同じくミュンヘンで独労働者党(後のナチス)が結成され、世界は奈落へと向かい、大量破壊兵器による無差別で無意味な死が大量に生み出されていくのである。
母の七回忌から話が脱線してしまったが、精神は若々しく、いつも好奇心や向学心が旺盛で、いくつになっても新しいことにチャレンジし続ける一方、死を人一倍恐れていた彼女の死は、私には突然の生の切断という言葉でしか表せない。
彼女もまた永遠の途上で未完のまま、十分に老いることなく突然に生を中断されてしまったという空虚感を拭い去ることがまだまだできない。
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