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12月31日の町中華

新入社員として通勤したオフィスは東京の中央区八丁堀という場所であった。江戸時代から戦後すぐまで水路があった場所である由来の名前ではあるが、時代物が好きなら、必殺仕事人の主人公中村主水が八丁堀と言われていた印象が強いかもしれない。江戸時代この場所は町奉行配下の同心などの組屋敷があったから、その隠語として呼ばれたわけだ。今では近くの兜町や茅場町などふくめ、銀行や証券会社、建築会社などここ一帯は歴史あるオフィスが多い。
昼時にはスーツを着た会社員がオフィスビルより束の間の休息と胃袋を満たしに小走りにお目当ての店に散り散り向かうのである。私も入社当初先輩や同期と連れ立って今日は、イタリアンか、洋食か、聖路加付近のハシゴのラーメンか、蕎麦もいいが、寿司の1.5人前のランチか。ならば、少し遠征して築地の場外か、と東京の歴史あるビジネス街だけに色々な店があって楽しみであった。しかし、それもある程度社歴をを積むと好みというものが出てきて大体両手に収まる位の店をローテーションしている事に気づく。「今日どうする?」と同僚に聞かれて、ふと気づくのである。

八丁堀の「殿長」という店は、魚を食べさせてくれる和食の定食屋で、私達のローテーションの不動のレギュラーであった。焼き魚が最高であった。美味い魚の店は場所柄築地の近くであるからかもしれない。銀鱈、アコウダイ、シャケ、鯵、秋刀魚、鰤、鯖、金目鯛 四季それぞれの魚がご主人によって注意深く焼かれ、焦げる色、香りの塩梅やよし。切り身の皮の部分がカリッとしてこれは最後のお楽しみとして、まず、弾けんばかり迫り出している新鮮であろう身の部分は箸を入れると湯気と共に柔らかな身が溢れる。ここに来る客は常連も一見も、年配も若手も、上等なスーツの紳士も現場の作業着の男も、同じ様に黙々と食べ、幸せになる。そして暫くしてまた昼にくる店なのである。オープンキッチンのカウンターと少しのテーブルが(あったか)狭い店内で、夫婦で切り盛りしているが、魚の焼き方はご主人であり、ご飯よそったり、味噌汁や付け合わせで定食に仕立てお客に出す。また会計をする、片付けるなどなどを女将さんがやっていたのだが、昼食時の混雑を極めるこの数時間は勝負所ということもあり、夫婦とも殺気だっているのである。これがオーダーが通っていないなどが重なり臨界点を超えると怒号が飛び交う。美味くて通うし、ここにきた客は、特に私含めて常連はこの殺気だった夫婦間の怒号の飛び交う中で首をすくめて食べるのも一興と家族経営ならではのストロングスタイルに「今日も夫婦喧嘩してるかな」と楽しみに向かっていたのである。

今日は大晦日。縁あって今年の年末年始は中野で過ごす事になった。1年を通じてやれた革靴を修理に出す帰りに、ふと腹が減ったので、町中華の店に入った。
何度か来た事があるこの店は70歳に近いであろう、ご主人と女将さん、30代程の息子さんと思われる3人で切り盛りしている。私が入った時には、若旦那はいなく、女将さんと主人がいたが、女将さんが何やら怒っている。ご主人との会話も不穏で元気なく悪態をついているではないか。チャーハンと餃子を頼んだが、打てば響く声で「はいチャーハンと餃子一丁!」という声も無い。カウンターの端の先客夫婦の料理もまだ出ていないようだ。これは、ハマったかと思ったところで「殿長」の夫婦を思い出したのである。心配をよそに、私が店に入った後にも、遅めの昼食の客がバラバラと入ってくるではないか。7割ほど一気に席は埋まってしまった。其々バラバラと頼む注文にハラハラしてしまう。その雰囲気を悟ってか横の学生風の男はカレーラーメン頼むのにすいませんと本当に申し訳なさそうに言っている始末である。
途中から若旦那が登場し、仕事が回り始めた。三角関係が良いバランスなのだろうか。私のチャーハンと餃子もご主人から小さな声で「遅れて、すいませんね」と渡されたが、女将さんが「アチアチ」と言って出された付け合わせのスープはそっぽを向かれ私の前のカウンターに置かれた。女将さんは多分耳が悪くて聞き取りにくいというのがご主人との喧嘩の原因と推測したが、まあそんなことはいい。素朴な味わいの二皿を黙々と食べ、会計をしながら、カウンターの上の台の部分に空いた皿を重ねて乗せて「ここに置くからね」と誰にいうでもなく言っておいた。なんと女将さんが初めてこちらを見てニッコリ笑って「ありがとうね」と言ってくれるではないか。驚いたが、何とか「美味しかった。良いお年を」と言えた。これが今日の、今年の年末のハイライトであった。女将さんお元気で。また来年も会いましょう。

良いお年を。

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