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跳び箱が跳べたなら
今日は近所の幼稚園の運動会だ。
次のプログラムは障害物競争を取り入れた「かけっこ」。小さな園庭を二人一組で競いながら一周する。
勝負と言うにはあまりにも小規模かもしれないが、園児たちにとっては大舞台だ。
群れの中から赤い帽子をかぶった女の子が二人連れ出される。一人はニコニコ、もう一人はモジモジ。
用意、スタート!
最初は、一人一台ずつ用意された二台の平均台。
到着はニコニコが早かった。
二人とも恐る恐るのぼり、そろそろと渡り、途中で落ちる。
最初からやり直し、もう一度。
モジモジが先にクリア。
モジモジは先へ、その後をニコニコが追う。
次の障害物は二つのコースに分かれていた。
一方は、大人でも一抱えはある立方体を三個、一段二段に重ねたものをのぼり飛び下りるコース、もう一方は跳び箱コースだ。
モジモジは立方体の方によじのぼろうとする。
後からきたニコニコ…何故か、立方体の方に並んで待っている。モジモジがてこずっている間にもう一方の跳び箱を選べば勝てるのだが。
なんで待ってるの?
なんで跳び箱に行かないの!
大声で呼び掛けるけれど、ニコニコには聞こえないようだ。歓声にかき消されてしまう。空にはためく万国旗が虚しい。
モジモジが遂に飛び下りる。
さあ、ニコニコの番。モジモジよりもスムーズにのぼり飛び下りる。満足だろうか。
モジモジはもう第三コーナーを越えて第四コーナーにも迫ろうかというところ。いくらニコニコが頑張っても、この差はいくらも縮まらないだろう。
モジモジがゴール。ややあって、ニコニコもゴール。
前者は一番の旗のもとへ、後者は二番のそこへ連れていかれた。
お昼休憩の時間。
渡り鳥のコロニーのようなレジャーシートの波間に家族とお弁当を食べるあのニコニコの姿も見える。
ニコニコが食事を終えて園庭に戻ってきたところを、怖がらせないように話しかけてみた。
「ねえ、なんで飛び下りる方に並んだの?跳び箱にいけば勝てたのに」
するとニコニコは答えた。
「だって跳び箱は得意じゃないんだもん。」
「跳べなくてもよじのぼって飛び下りちゃえばよかったじゃない」
「跳び箱は跳ばなきゃ駄目だと思った。」
答える瞳の底に勝ち負けや損得の概念は微塵も沈殿していない。あるのは、守らねばと思うことは例え損をしても貫いてしまう頑固さ。彼女は大人になってから、大なり小なり苦労をするのではないだろうか。
手を振って別れてから、はっとする。
あのニコニコの女の子は、私だ。幼稚園だった頃の。
苦手な跳び箱も、運動会の賑わいの中で適当にお茶を濁して越えれば、私は一番になれた。全てが終わった後、子供ながらそのことに気が付いたけれど「かけっこで順番待ちする奴があるか!」などとなじってくる大人が一人もいなかったことには感謝したい。
大人になっても勝負ごとはあまり好かない。優劣の決まることがあるとひっそり「下りて」しまう。あるいはふと気が付くと、ピストルの鳴ったマラソン大会のスタート地点で一人ぽっちになっている。
頑固さもそのままだ。辛くても苦しくても会社には行くものだと我慢をし続け、心身を壊した。
あの小さな園庭は未来を映し出す鏡だったのだ。
普段は得意なルートを選んでも良い。
いざという時、もう一方の跳び箱ルートが選べるか。
そんな跳び方はダメだとか、やり直せとか、ごまかしたなとか言われても、涼しい顔で、オリンピック選手のように自信に満ちた動作で跳び箱をよじのぼり、ぎこちなく飛び下り、例え着地に失敗しても、笑顔で次へ駆け出していけるか。
今後の生き方の課題だ。
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