痛い時は「痛い」と言った方がいい
2ヶ月前の出産は難産だった。
元々生理痛が重く、痛みには比較的強い方だという自覚があった私。
陣痛も怖かったが、同じくらい恐れていたのが分娩をスムーズにするための切開とその縫合についてだった。
出産経験のある友人知人に聞いたり、ネットで調べたり…しかし知れば知るほど「自分はどうなるか」という不安がつのるばかりだった。
では実際のところどうだったか。
生理痛と陣痛の比較についてや陣痛の感想はいずれ別の機会に触れたいと思うが、切開と縫合については…
結論から言うと、私の場合、難産で分娩が大変すぎて消耗しきっていたために、切開も裂傷(つまり切ったのではなく文字通り「裂けてしまった」部分があった)もその後の縫合も、それなりの痛みはあったものの、気を紛らわすための世間話こそすれ(これは私が普段おしゃべりだからこそなしえたことだろう)、全力で反応する気力を使い果たしてしまっており、それどころではなかったというのが正直な感想だ。
ただし傷は決して小さくなく、縫合に一時間半ほどかかった。
分娩の主治医曰く「他の人より縫合に時間がかかる」「他の人が裂けていないところまで裂けている」とのことだった。
しかし決して痛くなかった訳ではない。
麻酔の注射を打たれる時の鋭い痛み、縫合される時の針金で肌を突くようなちくちくとした痛みも勿論感じていたので、時折「うーん、うーん」と声をあげていた。
そんな大変な中でも目から鱗だったのは「痛ければ痛いとちゃんと言った方がいい」ということ。
そんなの当たり前じゃないかと思われるかもしれないが、縫合の際、かなり時間がたってから、世間話の合間にふと「ううーん、痛ーい」と呻くと、縫合していた主治医が「あら、痛いんですか、それなら」と言ってさらに麻酔の注射を追加してくれた。
すると痛みは少し遠退いていった。
「痛い」というキーワードを発さなかったために、医師には痛みの程度が伝わっていなかったのだ。
自分がどう感じているかは案外人に伝わっていない。
察してもらうのを待っていては対処が遅れる。
困っている、痛みを感じているならばなおさらのこと。
痛い時は、ちゃんと「痛い」と言った方がいい。