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多義語としての「ワーキャー」と向き合うために
ワーキャー。
女性で、お笑いの世界に足を踏み入れたことのある方なら、誰でも一度はぶつかるのが「ワーキャー」の壁なのではないだろうか。
(とはいえ「男性は以下を読むな」「絶対的にあなたたちが悪い」というスタンスを取るつもりはないことを初めに明記しておきたい。)
かく言う私もそんな女性お笑いファンの一人だ。
一年と少し前、お笑い好きの家族が見始めたYouTubeチャンネルがをきっかけにとある男性お笑いコンビを好きになり、以来ずっとファンをさせてもらっている。
安易にこう言うのは相応しくないという声もあるが、当世風に表現するなら「推し」ができたというやつだ。
当初は毎日の多くの時間をその芸人さんの動画を見たり、有利配信を購入したり、情報を漏れなく集めたりすることに費やしており、今振り返っても随分と前のめりだった。
過去には「推し」だけを追いかけたことが原因で辛い思いも経験した。
紆余曲折あり、最近では推し以外にも様々な芸人さんをチェックして、お笑いについてなるべく浅く広く知り知識を深めながら、興味関心を分散することができるよう努めている。
(なるべく「依存先」を増やした方がよいのは、精神衛生を健康に保つためのテクニックの一つでもある。)
■なぜ「依存先」が多いほど心は安定し、孤独に強くなるのか?(2022年3月14日閲覧)
しかしどんなに広い視点を持とうと努めても、時々大なり小なり聞こえてくるのが「ワーキャー批判(女性お笑いファン害悪論)」だ。
●ワーキャー批判とは
曰く、女性ファンは容姿端麗な男性芸人をアイドルと混同している。
女性ファンはネタ(漫才・コント)の良し悪しが分からない。
ネタが面白くない芸人にも「面白い」と言ってしまうから調子に乗らせる。
だから女性ファンは程度が低い。
ネタをきちんと見て厳しい目で芸人の良し悪しを判断する男性ファンには遠く及ばない。
女性ファンも男性芸人を容姿で判断せず、ワーキャー騒がず、静かにネタを見て見る目を養うのなら認めてやっても良いが・・・といったところだろうか。
学生時代に歴史の授業で習った仏教の「変成男子(へんじょうなんし)」の考え方を思い起こす。
■変成男子
(古く、男尊女卑的な考え方から、女性は仏教の悟りを開けない(成仏することが非常に難しい)ものとされた。だから悟りを開くには男性になる必要があるという考え方)
(私が色んな芸人を追いかけること自体も「変成お笑い男子」化の作業なのかもしれない)
ただしこういったワーキャー批判は(私が恵まれているのかもしれないが)決して面と向かって言われるものではなく(つまり陰でコソコソ言われる類いのもの)、上記にある言い回しがそっくりそのまま誰かの発言になったり、文章として出てきたりするものでもない。
むしろ、お笑いの世界に触れる中で、ある日突然指先に刺さって断続的な痛みを生む小さなささくれのようなものこそがワーキャー批判なのだ。
随分ふわっとしているじゃないかというご指摘もあろうがまさにその通りで、「ワーキャー批判」は得てして発信源がどこなのか不明瞭だ。
だから、例え芸人が苦笑しながら「最近ワーキャー人気がすごくて」とか「後輩の●●たちがワーキャーされてて」とか発言したとしても、その芸人をワーキャー批判の「主犯格」としてしまうのはあまりにも短絡的だ。
従ってワーキャー批判をミソジニスト男性のみの手になるものとすることや、これを女性vs男性の構図のみで論じるのもまた早計であろう。
(なお、ワーキャー批判で引き合いに出されるのは得てして男性芸人と女性ファンのみである。つまり女性芸人という存在とワーキャー批判の関係性は検証されていないように見える。)
そしてふわっとしているからこそ、お笑いにおける「ワーキャー」は様々な意味を含むに至っている。
例として挙げるならば次のように。
●多義語としてのワーキャー
動詞としての「ワーキャー」あるいは「ワーキャーファン」とは
・男性芸人の登場にはしゃぎ、ちやほやする(女性ファン)
・容姿端麗な男性芸人をもてはやす(女性ファン)
・容姿端麗ではない男性芸人をもてはやす(女性ファン)
・男性芸人のネタ(漫才・コント)の良し悪しが分からず、面白くなくても好きなら「面白い」と言ってしまう(女性ファン)
・決して容姿端麗ではないがネタの面白い男性芸人には見向きもしない(女性ファン)
・男性ファン(「コアなお笑いファン」、「本当のお笑いファン」)よりも程度が低い(女性ファン)
・劇場やネット上で男性芸人やファンに迷惑をかける(女性ファン)
(一口に「迷惑」と言っても様々で、例えば同じ「芸人本人のツイートに返信する」という行為でも、返信する人全員敵視する人もいれば、友人や家族に話しかけるような砕けすぎた言葉遣いをするファンのみを敵視する人もいる)
(違法アップロード、無断でのグッズ化、出待ち禁止の無視、ネタ中の声かけ、他の芸人の出番に関心を持たずスマホをいじる/退出するなど、明らかに控えなければならない行為をするファンをワーキャーの代表格に挙げる人もいる)
・長期的に応援するつもりがなくすぐに飽きる(女性ファン)
・「かっこいい」「かわいい」と言うタイプのファンを名乗る女性ファンの自称、またはその行為として
・どうせ何も分かっていない女性お笑いファンと揶揄されるのだから予め名乗っておく女性ファンの防衛手段としての自称
・・・などなど。
つまり「ワーキャー」はもはや多義語化しており、「ワーキャー」という言葉が出ただけで、これだけ多くの背景や行為を背負ってしまう。
●ワーキャーという言葉と出会ったら
だからこそ「ワーキャー」という言葉を目に/耳にしたら、次のことを確認したい。
・発言はいつなされたか
・発言の場はどこか(YouTube、ラジオ、インタビュー、囲み取材等)
・誰の発言か
・相手(聞き手)はいたか
・引用元はどこか
・その発言があった音声もしくは文章を全て聞いたり読んだりして確認することはできるか(原典に当たれるか)
・どのような文脈の中での言葉だったか
・どのような意図や思いが込められていたか
・取り上げた媒体はどこか
・取り上げ方に偏りや悪意はないか
・背景にどのような論点があるか(芸能史、ジェンダー、ビジネス、マーケティング等)
●声を挙げつづけよう
前述したように、ワーキャーは様々な切り口で語ることができる言葉である。
そして、少なからずそこに差別や悪意が含まれてたり、そうしたイメージがついてまわる言葉であることもまた否定できない。
それゆえ、例えばツイッターの一つのツイートでここに含まれる問題全てについて論じきることは不可能だ。
それどころか、ワーキャーについて手短に論じようとすること自体がまた、悪意を持って娯楽化され安易に消費されてしまう危険性も十二分にある。
同様に、私が書いたこのnote一つで世の中が変わることはないであろうし、私自身の救いにも恐らくならない。
しかし、ワーキャー批判に思うところある女性お笑いファンが(勿論女性でなくても、そもそもお笑いファンでなくても)自らの立場と視点から定期的に思うところを述べ、長期的かつ多角的な視点を持ち、声を挙げ続けることは、十分に価値あることだと考える。
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