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黒髪の乙女の名前が気になる

新年明けましておめでとうございます。

2021年はどんな一年にしましょうか。私は去年の年末に韓国から日本に何とか戻ってきまして生活環境が大きく変わりました。今回はコロナの関係でしばらく長い間日本にいることになりそうなので戸惑いながら、コロナとの付き合い方を改めて考えております。

今年一年は「コツコツ」ををテーマに日々の生活を今まで以上に大切にしていきます!

今一番考えていることは、一人の時間が大切だということです。久しぶりの実家暮らしは一人で考える時間を自分で確保しなければ毎日流されてしまいそうで、どうやって自分と向き合っていくかを探している毎日です。





夜は短し歩けよ乙女(2017)

私は森見登美彦さんが好きです。阿呆がとてつもなく愛おしいです。私も狸になって人間に化けながら矢三郎たちと一緒に生きたり、私にとっての四畳半を開拓したいです。

この、「夜は短し歩けよ乙女」もそんな愛おしさがいっぱいに詰まった作品ですよね。今日久しぶりにアニメ映画を見たのでそれについて書いていきたいと思います。


私にとってこの作品は、とても可愛らしい愛の物語です。

ぱっと見意味が分からないし、ストーリーそのものや展開が突飛で、見ている多くの人が置いてけぼりにされそうになります。映画館やテレビの前に座って、画面を通して外から作品を見るのではなく、森見登美彦さんの世界観にすっぽりと入り込むことが出来れば、すべてのシーンで笑顔がほころんで体中にじわじわと広がっていく美しさを感じられるところが、この作品の大きな魅力だと思います。


私の好きなシーンはここ

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ジャケット兼リュックの緋鯉って何だ・・・(かあっこいい!までが大切)

(初めて見たときは学園祭のゲリラ演劇のラストを見て本当にどうしようかと思った)


先斗町から始まり、古本市、学園祭、風邪のお見舞いまでの長くて短い一夜の出来事を通して、人と人とのつながりについて、世の中という大きなもののつながりについて教えてくれているような気がします。

作中の「この世のすべての本は一冊の本なんだ。」という言葉、「孤独でいたくてもどうしてもみんなと繋がっていて、誰かから始まった縁はみんなを否応なく繋いでいる。」という台詞はこのコロナの中、何よりも実感する台詞であると思います。

人と人との繋がりや関係こそがすべての人間にとって切っても切れないものであり、それこそが私たちにとって何より尊く、大切なものであると。



そして最後、黒髪の乙女は多くの人のお見舞いに行きながら逆に自分が多くのものをもらい、沢山の愛を受ける。それは、上で書いたように、人と人は繋がっているから、どちらかがよくしたように見えても、片方が与えたら相手も与えていて、気が付いたらお互い与え合っているから。

先輩は誰にも負けない才能の貯金箱があったがずっと飛べなったのは迷いがあった。故に自分の中の沢山の自分が口論し、戦い、逃げ、黒髪の乙女を追いかける。(ジョニーとともに)本人の中でもう答えは最初から出ていたのに誤魔化し、迷いながら乙女を迎える。

その中、黒髪の乙女はもらった愛を沢山の先輩に与えていくが、先輩はずっと飛べない。落ちたらどうしよう、という不安。しかし最後、急ではあったけれど二人で手を取り大きな空の中「私にはいい景色だ。そして羽の形がこうしか飛べないようになっているのだ。」という台詞がとても印象的だった。

どたばたしたシーンにこの二人の愛の形が見えた。

黒髪の乙女の終着駅であり、先輩の終着駅は一緒であり、ひとつだった。




細かい部分を見ながらも、森見臭がプンプンする愛おしい映画でした。これからも楽しくたくさん見ていきたいと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございます。




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