箱根駅伝
子どもの頃。
親戚のお家で、毎年お正月を過ごして。
テレビも面白い番組がやっていなくて。
大晦日の紅白だって最後までは見せてもらえなくて。
寝たふりして、薄目を開けて、こっそり紅白を見てた。
元旦もお節やお雑煮を食べると、ひたすら暇な時間が続いていた。
2日になると大人たちは箱根駅伝を見始めて、子ども心に
「人が延々と走っているだけなのに、何が面白いんだ?」と思っていた。
そんな私が、箱根駅伝を見始めるとテレビの前から離れられなくなったのは、40代を過ぎてから。
箱根駅伝が始まる前には名前も知らなかった大学生たちの「走り」の奥にある想いに、涙するようになった。
その奥にある想いをなぜ知り得るのかと言えば、中継のアナウンサーさんたちのチカラが大きい。
一朝一夕の取材では、こんなふうに語れないだろう。
選手ひとりひとりのエピソードを丁寧に紡ぎながら、その人となりが走る一歩一歩のリズムに乗せて、私たちに気づくと伝わっている。
箱根駅伝は、走る姿を見るだけにあらず。
箱根に賭ける想いを走りの中に見いだすものなのだ。
淡々と走る選手たちと共に、アナウンサーの方たちの綿密な準備があってこその、感動なのだと思う。
箱根駅伝には、優勝争いだけでなく、母校の襷(タスキ)を繋ぐというドラマもある。
襷(タスキ)が繋がることが当たり前でないからこその重み。
その時、その場所で、作られていく名場面。
駅伝を走る学生さんたち以上に、たくさんの大人が真剣に関わってきているからこそ、100回も続いてきたのだろう。
箱根駅伝の面白さが分かった時に、私も大人になったと実感したのでした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?