考える練習をしてみる!

日曜は仲のよい友達と約1か月ぶりに会い、「出雲と大和」展を観に行った。「顕(見える世界)」の世界を天皇の子孫が、「幽(見えない世界)」の世界をオオクニヌシが見るようにと言われてから、顕は大和、幽は出雲ということで、それぞれの文化で栄えたものや相互に影響しあって作られたものとがあり、出雲の文化の栄えた様子が分かる文献があったらよかったのにと心底思った。日本のことを日本の人が書き記したのが日本書紀や古事記だから、2、300年前のことは口伝になってしまっているから本当のところはどうなのか想像することと出土品から考えるしかない。少しばかり残念だ。


さて、1か月ぶりに会った友人とは今回もいろいろ話をした。結構いろいろなジャンルや自身の考えを包み隠さず話せる貴重な友人だ。ふいに「他に考えて生きてそうな友達っている?(ニュアンス)」と聞かれた。友達の数はもともと多くはないが、そんななかでもこの友人のように考えることが好きで、考えて生きている友人は他にいるのだろうか。そう考えたときに、何でも話せる友人は彼女の他に1人思い付くだけで、他はちょっとしたことや趣味の話程度をするに留まっている。友人毎に話す内容や深さを意識的に変えているわけでもないが、どんなときをその友人と共有していたのかで話の内容は変わってくるのかもしれない。ただ、ざっくばらんに私が考えていることをその友人に話せるのは、考えることそのものに意味を見いだしている友人だからこそである。考えることを放棄したらAIに取って替わられても何も言えない存在になりそうで、人間だから考えることができるわけで、だから考えることを意識的にもしていきたいと思う。

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