紀尾井町の屋敷跡巡り
10/28(水)の口演場所を一昨年の春に
紀尾井小ホールと決めて師匠澤孝子へ
報告相談した時。
「なぜ紀尾井町って言うか知ってる
でしょう?」
「すみません。知りません」
「紀伊徳川・尾張徳川、彦根井伊の三家より
それぞれ一字ずつ取って名付けられたもの
なのよ」
「勉強になります」_φ(・_・
師匠澤孝子より紀尾井町の由来を
教えてもらい。
早速!屋敷跡地を散策!
まずは10/28(水)の口演場所でもある
紀尾井ホールの楽屋入り口横に
尾張名古屋藩屋敷跡を発見!!
そして!
ホテルニューオータニ敷地内に
近江彦根藩井伊家屋敷跡を発見!!
最後にようやく弁慶橋近くに
紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡を発見!!
10/28(水)の自主口演で
師匠澤孝子より「春日局」を掛けて良いと
台本をいただき掛けさせていただきます。
春日局(お福)は徳川家康より
三代将軍 徳川家光の幼少期 竹千代の
時代よりご養育の乳母の大役を
仰せつかり大奥で功績を残した人物。
紀尾井町で春日局を掛けられるとは
歴史的な話とは言え、ご縁を感じずには
いられなかった!!
勝手ながら春日局より「春日局」を掛けて!!
とお願いされてる様な感じがしてならない。
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