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ロマンチストなノンプラグマチストです、私、工藤雪枝は

上記の写真は、2003年に日米協会から選ばれ、日米両国を代表して、一人で、日米関係(ペリーが浦賀に来訪して150周年記念の年)にて1ヶ月にわたり、毎日、寝る暇もなく1日三回の講演に加えて、ペンタゴンとか、様々な公的な機関の訪問も多々あった、全米はワシントンDCのCSISから、ホノルルまでの全米講演や様々な公式日程ツアーを終えてわずか1日だけの初ハワイの休暇をパイナップルジュースを飲みながら一人孤独に祝う満身創痍なる私。

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先だって、あまりにも格好つけなさすぎる私、工藤雪枝なるブログを#NOTEにて書かせていただいた。そんなおり、何かのSNS(Social Media)を見ていたら、今はまだ12月のはずなのに、成人式のお写真の前撮り?とやらでご一家大騒ぎのお話が掲載されていて、実に興味深く拝読させていただいた。

実は私は成人式には出席していない。そもそも日本の成人式とはどこの自治体に行けばいいのだろうか?私は20歳にては東京都港区、南青山に住んでいたのであるが、当時の本籍地は、どこにあったのかは転勤族故に「記憶にございません」。

私にては、高校時代(私は、日本の高校とAFSで留学した米国の高校と二つ高校を卒業しており、故に4年間高校生活を過ごしている)の米国留学中は何回か新聞社などの取材を受けた際におそらく安価なーどうせ高価なものか否か米国人には分かりはしないー着物を着たこともある(どうやって一人で着付けをしたのか、未だに覚えていない)。でも特に我が母が強く要望していた、我が20歳、大学生当時(1985年)「お願いだから成人式に出るか否かに関係なく、新調した着物を来て、写真だけでも撮ってほしい」というのを、結果的に拒否したのである。

それは何故かというと、私においては、その1日の為、あるいは一枚の写真のためだけにいくらか知らないけれど、何十万円?というような高額な資金が浪費されるとしたら、むしろそのお金で、海外旅行にでも行った方が、あるいは、慈善団体に寄付でもした方が、遥かに有意義だし、遥かにそちらの方が我が希望であったので、それを、成人式及び着物新調費用の代案として我が大蔵大臣たる両親に主張し、そして見事に却下されたのである。そもそも私において、一種の独特な美意識はあれども、一切自己的あるいは自己愛的ナルシズムなる感覚はなさすぎるほどない。

実は、そのタイミングにても、私にては、一日、生活費は五百円というつましい生活を自らにかして(どうやって勉学に必要な教科書費用などを捻出していたのかはこれも未だに記憶にない、おそらくそのために生活費を切り詰めていたのかもしれないと思う)、そして週に4日、英会話を教えるアルバイトを行い、また、家庭教師を行い、さらに東京大学駒場時代、ESSで夏休みや秋休みも毎日潰れるぐらい忙しいディベートチームに所属していた。

全国大会で、個人的には英語のスピーチやディベート大会で多々優勝し、全国の学生論文コンテストで産経新聞主催で一回、ダイヤモンド社主催で2回、受賞し、外務省主催の討論、論文大会で外務大臣賞を頂いてASEAN諸国を訪問したり、日本航空主催の国際学生シンポジアムのパネリストに選ばれたりして、実に忙しい毎日であった。そもそも、「貴方みたいに忙しい人を待つのはやりきれないわ」とか言って別れるのは女性側の別れ文句の常套句と決まっている感があると思うのだが、私の場合は、駒場時代に交際していた、東大の工学部の3年生に「君みたいに忙しい相手を待つ僕は辛い」とか言われてふられたことさえあるくらい(苦笑)。


ここまで、読んでいただくと、工藤雪枝は合理的なるプラグマティストと勘違いされそうだが、実はやはり3月14日生まれの魚座だけあって、ロマンチストで本来の性格が存分に発揮されると、夢みる夢子さん。合理性が全くなく、とことん、非合理的に浮き世の欲望渦巻く世界から一切離れ、いつの間にか、欲のない美意識の形而上耽美派の閉ざされた世界に入り込んでしまう。今の私など、本来の子供の頃の自分に戻ったような感じで、食欲も、金銭欲も、出世欲も含めそういう世俗的なることに全く関心もない。幼稚園時代にピアノと絵を描くのを習っていた時みたいに、芸術とか読書とか、関心のある知的なる創造的分野含め特定の意欲以外には一切欲がなさすぎて私自身も実は困っている。食欲も我が人生において、中学生から高校生時代に感じたことがあるぐらいで、それ以外の時期は一切ないので、この11ヶ月で体重が自然減10キロである(摂食障害でもなくダイエットもしていないのにもかかわらず)。


これは、まさに、3月1日生まれの魚座のショパンの音楽の世界のようでもあり、まさに1936年3月14日世界で初めて人工雪結晶生成に成功した中谷宇吉郎のような科学者の研究的(かなり成功までに一見無駄と思われる時間やプロセスを積まれておられる)でもあり、中谷宇吉郎の師であり「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉でも有名な寺田寅彦博士のような物理学者的でもあり、どの世界においても現実感なき、金銭感覚もなき、結果よりプロセスや無駄とも思われ、非生産的ながら知的好奇心に拘るかのような非現実的耽美派であると半ば自己正当的に感じるのである。以下は中谷宇吉郎博士にも絡んで、ショパンとパリにも絡んで、そして我が敬愛する松山千春様、そして私がインタビューさせていただいたこともある、スタニスラフ・ブーニン様にも絡んで私が一人で制作した我がYou Tubeチャンネルでの動画である。

実は中谷宇吉郎先生の弟さんはパリとも芥川龍之介ともご縁があり、また宇吉郎博士ご自身もハワイの高山にても雪に関して実験されておられ、また、私もパリにての以下の動画にては説明にも書いていないが我が運命の転換点となっている場所や物が実に多く登場しているのでもある。同時に中谷宇吉郎博士が人工雪を世界で初めて生成に成功した日が我が誕生日と同じであり、徳富蘇峰先生、アインシュタイン、ワルツ王ヨハン・シュトラウス1世とも同じ。また円周率の日。日本ではまあ、「人工的かつ商業的に作られた点で宇吉郎博士とは違う」けれどホワイトデーでもある3月14日。また、同時に円周率はパイなる記号で表されるので、それに因んでお菓子のパイの日でもある。どおりで、私が、小学生の頃から、アップルパイだの最近ではフランス由来のタルト・タタンの制作と研究に勤しんできた運命の由来がそこにあったということさえ、一人勝手に正当化してみたくなるものである。



でも、そのプロセスにおいての意識では迅然たる真面目さと誠実さと、一種の美意識と気遣いとありとあらゆる優しさと社会的意義というか価値を見出そうという一種表現が不可能な発想や他人への思いやり、気遣いがある点も書いておかねばならない。

卑近な例で恐縮であるが、例えば、この冒頭につけた、我が写真。実は2003年の全米講演ツアーの最終地として初めて訪れたハワイ。かつ、満身創痍の我が全米での凄まじくも、珍エピソード、かつ感動エピソード、かつ憤死しそうなエピソード満載の我が仕事が無事に終わった日、唯一入れていたハワイにての1日の休日。なんとあまりの激務にて、声はもう心身の疲労の為に仕事が終わった途端にほぼ出ない状態になり、発熱していたのに、その1日の休みの中でハワイに来たのであるからという義務感で、一度だけプールで泳ぎ、一度だけ海で泳ぐという我ながらなんという全くもって損な、かつ変な性格かと思うような行動をした休日の夕方の写真である。

その日はハワイの高級ホテル、ハレクラニに宿泊していたが、一人で何もすることもないので、ぼんやりと毎晩、ホテルの前庭で行われるフラダンスとバンドの音楽をぼーっと聴いていた。そうしたら、明日は朝に日本へ帰国という日の夜、そのバンドのなかなか誠実で優しそうなお兄さんが、休憩時間の時に、私の元にやってきて、「貴方に是非素敵なプレゼントを差し上げたい」とか行って、私をとある樹の元に案内して、その樹の枝に登って!その花(タヒチアンなんとか?とそのお兄様おっしゃっていた)、をプレゼントしてくださった!

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なんと!素敵なエピソードではありませんか!これって、米国での我が留学体験と、その後の様々な旅行、仕事の米国での体験を適用するとどう解釈したらいいのだろう?まあ、私にては、恋人とか一夜だけの深い関係とかには関心はないけれど、まあ、プラトニックな非肉体的な会話だけの関係で部屋の中でお茶ぐらいしてもいいのかも?とかいろいろ、いろいろと考えることになった。その間も我がホテルの部屋の中にあるタヒチアンなんとかの花のイランイランみたいな甘く濃厚な芳香が部屋の中に漂ってくるから、何とも悩ましく影響力が凄まじい。

これは何か外交上のプロトコール的にも返礼しないと失礼では?いや、でも米国の大陸とハワイとは違った言語化されないルールや慣習があるかも?いや、でもハワイのハレクラニにて、防犯カメラなどあちこちにあるだろうから、例え制服でもそうでなくとも、そのお兄さんが私の部屋(十分広く、ベッドルーム以外のお茶を飲むスペースもあったし、そもそもそのお兄さん、ナンパ者などではないことは明白で実に確かなのである)にご招待して解雇でもされたら、気の毒だし、そういう内規でもありうるよな〜?でもだからといって、外出する体力もないし、それはそれで、ハワイのホノルルの治安を考えた際に危険だし。とか様々な想いにて真剣にあれこれとバンドが演奏している間は長いので、考え続けること一晩。とうとう徹夜にて、夜は明け、ロマンチックか別の意味でプラトニックではあるけれどプラグマティックか否かは判らない我が人生の初ハワイ、そして今でも唯一の我が人生のハワイ滞在体験は終わってしまった。

中谷宇吉郎先生や寺田寅彦先生のご立派さは「科学者は結果よりもプロセスに感動する」という名言を残されつつもきちんと結果も残されておられることにおかれて、私の公私にわたる人生などと比べるのも僭越であるがその点が大いなる違いであろう。

心理学というかカウンセリング手法にてもカール・ロジャーズ先生によるプロセス指向心理学なるものがあるが、やはりプロセスだけに拘泥するのではなく、中谷宇吉郎博士のようにプロセスも大切にしながら、やはり結果をきちんと出せるか否かという点が、偉大なる人物におかれてある。夢や思考、発想を現実に結びつける方法論とその為に持ちうるという鍵をどういう風に解釈したらいいのか?という秘密を中谷宇吉郎先生の随筆集をかなり読み込んでも、私にては、なかなか判らない。寺田寅彦先生になると、何と、線香花火の研究に何十年も、そして何十人、あるいは何百人もの教え子が地方の高校や大学などに奉職されていかれる際にさまざまな研究テーマを挙げ、そしてその中に必ず「たとえ研究費用がなくとも有意義な研究」としてその一連のテーマに入っていたのが、「線香花火研究」なのである。しかし是非、研究されるべしと導かれるも、教え子のみなさんが何年、何十年経ってもなんの研究成果の便りもこない。そんな「いくとしくるとし」を経て、最終的には本来は温厚な寺田先生が、その状況に癇癪を起こされ、結果として、寺田先生が、ご自身にてご研究されることになったのである。

そして、その後、中谷宇吉郎先生が、ロンドンに留学することとなる。その間に寺田先生の研究が、ドイツの名門誌「ベリヒテ」に日本の線香花火の成果が"Matsuba Funken" "Tirigiku Funken" (それぞれ松葉花火、散り菊花火)として取り上げられ、寺田先生から英国に留学中ロンドンの中谷先生の元に手紙が届く。

「線香花火の紹介がベリヒテに出ていますね。Matsuba Funken , Tirigiku Funken がヨーロッパにても通用することと相成り、曙町(東大の理化学研究所の寺田教授のお住まいのあった場所、中谷先生は当時は寺田先生の助手)の狸爺(たぬきじじい)一人でニヤニヤしている姿をご想像被下度候(くだされたくそうろう)」

やはり、この師弟関係も素晴らしいと感激しつつ、この雪の結晶研究室の温度マイナス50度、と線香花火の爆発温度960度との間を私自身、行ったりきたりして、すっかり、雪の結晶から、線香花火に派生したりして「雪枝」の名前通り「枝」のごとく「雪」の「枝」みたいになっていて、未だに、プロセス途上にあり、なかなか雪の結晶研究について、総括的なことを書ききれていない私である。私も大学院時代、ロンドンやパリに留学した者として。また2002年に、石川県加賀市の素晴らしい博物館、「中谷宇吉郎雪の科学館」を訪れた者として。北海道美幌生まれの道産子としても。今年生誕120周年にあたる中谷宇吉郎先生から、中谷先生のご出身地とも関係がある加賀藩の赤門を抱く東京大学法学部卒たる我が身にても。また我が両親の仲人の子息で、我が叔父の佐伯浩が北大元総長で寒冷地工学、氷工学などをやっていたご縁にても。天界の中谷宇吉郎先生や、寺田寅彦先生からも、何か「結果を出しなさい」と言われているような感じかもと、少々焦りつつも「雪は天からの手紙」(中谷宇吉郎著作、雪の結晶の形が無限大あり、その形が全てにおいて無限大の情報を正確に伝えてくる故の表題)を読みながら我が身の情けなさを感じつつ、「手紙を待つような気持ちになる」ような今日は2020年12月のまさに「師走」月である。

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(上記の写真は1936年3月14日北海道大学の実験室にて、中谷宇吉郎博士が、世界で初めて人工雪結晶の作成に成功した際の結晶の写真。この結晶化技術、及び、鎌倉時代からの氷柱などの時代の正確なアナログ的無限大の記録と、同時に結晶化技術の地球、及び宇宙への適用が将来の地球及び宇宙の温暖化を防ぐための技術として今もそして将来に向けても期待されている)

追記、そして英語的にはLastly but not the least として付け加えさせていただければ、この1985年ショパン国際ピアノコンクール全審査員一致での優勝、かつポロネーズ賞、なども得た、スタニスラフ・ブーニン様のショパンの最後のポロネーズの作曲順で言うと最後から二つ目の「英雄ポロネーズ」Dur OP53を北海道大学名誉教授で元北大総長の佐伯浩叔父と(ご本人にはその意味がお分かりになるはずー笑)、これまた興味深くも音響などのご研究にも従事されていた東京大学名誉教授の寺田寅彦先生、そして、スタニスラフ・ブーニン様、愛国精神と、ポーランドの悲劇的歴史へのレクイエムと今と将来への平和の「結晶化」の実現のシンボルとしてお贈りします。

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