私がホメオパスになった理由 前半

以前、私がどうしてホメオパスになったのかを書いて欲しいと言われたことがあったのですが、まとめる手間を惜しんで後回しにしていました。
ふと、無理にまとめなくてもいいから書いてみようという気持ちになったので、書いてみます。
最後に、ホメオパシー的視点からの解説も加えてみます。

幼少期
祖父母は専業農家、両親は外で働きながら農業を手伝っている、田舎の典型的な兼業農家で生まれ育つ。
弟一人、妹一人の3人きょうだい。
当時は育休などなかったそうで、出産後母は50日ほどで職場復帰してしまったため、主に実家の祖母に面倒を見てもらう。
その際、哺乳瓶にオレンジジュース(100%ではない)を入れて飲ませてもらったおかげか、上の前歯は生えた先から溶けて無くなっていた。
その他の箇所も虫歯多数で、大人になってからも歯の問題には悩まされ続ける。
また、親に見捨てられる無力感を感じていたためか、基本的に無気力なまま成長する。

小学校
学校は嫌いではなかったが特に好きでもなかった。
年に数回は仮病を使って休んでいた。

中学校
ある日突然仲間外れにされたり、靴がなくなったり、運動着や水着を捨てられる経験をする。
無気力で全てどうでもいいという基本姿勢に、友達というものは信用できないという考えが加わる。

高校
親に国公立大学に行くという命題を課せられていたが、相変わらずやる気はなかった。机に向かってノートを広げ、漫画を読んだりゲームをやったりする日々。
学校は、男子3分の2女子3分の1という構成で、女子特有の面倒さがなかったため精神的にとても楽だった。
将来の夢は花火職人。

大学
地元の国立大学の小学校教員養成課程に進学。
考古学に興味があったので、社会科を専攻したいと思っていたが、入学式前日に抽選の結果、社会ではなく家庭科を専攻するよう学校から言い渡され、大学生活への淡い期待を打ち砕かれる。
しかし、もう一度別の大学を受験し直す気力もなかった。
唯一、家庭科の一環として必修だった有機化学で衝撃を受け、その先生のもとで卒論を書いたことは、感情論や情報に振り回されずに物事を考える視点を身につけることができたという点でよかったと思っている。
ただし、将来への夢も希望もない状態は相変わらずだったので、何もないまま卒業。

思ったよりも長くなってきたので、ここまでを前半とし、以下、ホメオパシー的視点からの解説です。

まず、生まれてすぐ母が仕事に出てしまったことで、母への失恋を経験しています。
失恋で悪化するというプルービングがあるのが、Caic-p.。
歯が生えた先から溶けてしまった根本の理由はここにあると考えられ、オレンジジュースの衝撃もさることながら、それだけが原因ではないと推察されます。

中学生で経験したいじめは、母に見捨てたれたとおもう気持ちと同根であると考えられます。
理由は、恩師である由井寅子先生は常々おっしゃっている、「人生は同種療法である」という言葉に集約されます。
裏切られたと感じる経験を再びしたにも関わらず、さらに感情を抑圧していることで、今後も同じような出来事があるだろうと思われます。

ちなみに全てを諦めている、無関心であるという精神状態は、癌マヤズムにつながります。

後半へ続く。


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