全ての疾患の根底には悲しみがあるのかもしれない
ホメオパスを目指し、ホメオパシーを学んでいる最中、私は父を癌で亡くしました。父の癌は、それがわかった時にはすでに手の施しようのない状態になっており、家族には父が既に余命幾ばくもない状態であることが伝えられていました。
西洋医学的な処置は病院にお任せし、私は私で、レメディーやマザーチンクチャー、その他父が受け入れてくれた自然療法をいくつか使いながら、父の病状が少しでも良い方に向かうようサポートしていました。最終的な結果は上に書いたとおりでしたが・・・。
今回書くのは、父の病気を一番近くで見守っていた母の話です。
父が癌のため2回目の入院をした時には、父は既にとても弱っていて、歩くことすらやっとになっていました。
そんな大変な時に、母は腸閉塞を起こしました。
母には過去何度か回復手術をした経験があり、その古傷が癒着してしまったことが原因でした。
幸い、事情を知った救急隊と病院の方との厚意で、父と同じ病院に搬送・入院となったのですが、なぜこのタイミング?と思い、私は母を心配する気持ちとは裏腹に、大笑いしてしまった記憶があります。
当時はそこまで考える余裕がなかったのですが、今冷静に考えると原因がよくわかります。
母は毎日病院に通い父を見舞いながら、日々弱っていく父の様子を見るのがとても悲しかったのです。
東洋医学では、大腸は肺と同じく悲しみの臓器です。
父が死ぬかもしれない悲しみが大腸を弱らせた結果、腸閉塞として症状が表れたのでしょう。
母は気丈にも、当初の予定よりも早めに退院し、再び父の看病を再開しました。
けれども、数ヶ月後に父は亡くなりました。父が亡くなってから、母は表向きは気丈に振る舞っていましたが、数ヶ月後、再び体に異変が起こりました。
異変は肩に起こりました。診断は、老化による肩腱板断裂ということでした。
症状に合わせたレメディーを選んでいたところ候補に上がってきたのが、Nat-m.(ネイチュミュア)という岩塩のレメディーでした。
Nat-m.は、深い悲しみというテーマを持つレメディーです。
塩は感情をも塩漬けにしてしまいます。
母は、父を亡くした悲しみを表に出しませんでした。
涙をこらえ続けた結果、母の悲しみは肩に落ち、痛みとして表れたのでしょう。
母に必要なのはNat-m.だったのです。
それ以前にも母には、Nat-m.を含め、色々なレメディーを摂ってもらっていたのですが、足りなかったのでしょう。
Nat-m.をどんどん摂ってもらいながら、悲しみをもっと表現してほしいと伝えました。
すると、母が少しずつ前を向いて動き出しました。
父の死後、しばらく滞っていた日常を、少しずつ取り戻す作業を始めたようでした。
そんな母の姿を見て、Nat-m.の効果を感じずにはいられませんでした。
母の肩の腱は、最終的に手術で繋げることにしたのですが、手術を受けるまでの間は、Nat-m.を中心としたレメディーを摂ることが、痛みの軽減にもつながったようでした。
ちなみに、両親が入院してしまった時に大笑いした私も、その時まさに、Nat-m.が必要な状態でした。
なぜなら、Na-m.の人は、悲しい時に笑うからです。
CKには、「全くおかしくないもないことで、自分でも全く抑えがきかないほど激しく笑う。」という記述があります。
まんま、当時の私の状況です。
父の病気の原因の根底にも、大きな悲しみがあるのでしょう。
でもそれは長くなるので、また別の機会に。