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【小説】Interviews ( After C-2024 ) .7


(ゆらぎの終わり)

2024.9

会話をしている間も彼は手を動かし、端末に届いた通知を読み、周囲の空を観察している。

単眼鏡を覗き、目と耳に神経を集中させている時の彼の表情は、観察者というよりもハンターのように厳しく、険しい。

ただ、なんの作業なのかはいまいちわからない。


彼につられて、私も周りの景色を見た。
このエリアはとても静かだ。

私の住むところは、もっと雑然としていて見通しも悪いから、余計にそう感じてしまう。

「すみません、ずっと作業しながらで。」

「いやいや、忙しいよね。大丈夫だよ。」できる限りの笑顔で返す。

「今日の取材、あとどれくらいで終わりますか?実は友達からメールが来て、この後ミーティングをしなければいけなくなっちゃって」

彼の学習分野で一緒に勉強をしている友人達は、ドイツとオーストラリア在住だそうで、時間が合うタイミングでしかリアルタイムのコミュニケーションが取れない。
チャットのように文字のコミュニケーションではなく、ホログラムを使ったコミュニケーションだろう。最近では小型の端末でも行える。

「そうか。いや、今日はできるだけの時間で、という約束だったから、こちらは大丈夫だよ。続きはまた別の日でお願いしてもいいかな。」

「ごめんなさい。」

そう言いながらもキーボードを打つ手は止まらない。私の3倍は早いな、と思う。

「最後に一つだけいい?今日の取材で、拓生君が勉強のことについてとても楽しそうに話すのが印象的だったんだ。そのモチベーションはどこからくるのかな?」

彼は少し空を見て、手に持っていた単眼鏡をくるくると回しながら考えているようだった。


その手の動きはとても滑らかだった。

「好きなことだけすればいいって言われたことかな・・・。」

「お父さんに?」

「うん」

「嫌いなことはしないでいいよって言われてるの?」
甘やかすタイプの親父になったか。

「そうは言われてないけど。好きなことを“今”やりなって。学び直そうと思ったら何歳からだって、いくつの仕事をしていてもできるんだからって。」

「そう言ってたの?」

「そう。自分と、自分の好きな人との時間を一生懸命大切にしなさいって。」

「・・・それを聞いて、勉強楽しくなった?」

「うん。それに」

彼は少し照れくさそうにしながら、下を向いていた。
「・・・家族のことをもっと好きになれたよ。」

彼は学ぶことの原点を知ったのだな、と思った。
今を大切に生きること、いつでも学び直せるということ。
そして仲間を増やすこと。世界中に。
いや、世界なんて言葉に拘らずに。


子供たちは、日々強くなっていく。
大人を置き去りにして。


2023年の冬、通信ネットワークの規格が6Gになり、味覚や嗅覚も含めた五感すべての情報の共有が行えるまでに処理スピードは飛躍的に上がった。
それによって世界中どこにいようと(これは文字通りで宇宙空間を含む)、“今 隣にいる”のと変わらないようなコミュニケーションを実現した。

かつて若年世代をデジタルネイティブと呼ぶ習慣があったが、人はもう年齢、国籍を問わずあらゆる情報にアクセスができるようになり、“距離”という感覚は非常に曖昧になっていった。

ただ、反対に“時間”についての価値はとても高く重いものとなった。
日本人の平均寿命は100歳を超えたが、当然死ぬことを克服できたわけではない。


人間には時間が増えた、と思う。
生きている時間ではなく、“人間でいる時間”を増やさなければいけなくなった。

ネットワークの発達により生まれた時間の余裕が、便利さだけではなく、孤独でいることや身近にいる人と過ごす時間、お互いに考えを伝えあう時間のかけがえのなさを考えさせた。

Cウイルスに世界中の人々が苦しんだ時代以降、人々はこういった“本質”を自問した。
そして子供に伝えた。

Cウイルスの残した数少ない光は、人々に哲学をさせたことだ、と思う。


だから間違いなく、私が子供の頃よりも、今の彼らのほうが大人っぽい。
(本当に置き去りにされているようだな、と思う。)


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彼とは握手をして別れた。
力強いが、小さく、冷たい手だったのを憶えている。


階段を下り、地上に出たところで、後ろの建物を見上げた。
その位置から貯水槽はちょうど見えなかった。

太陽の光が白い。
緑色の鳥が2羽、飛んでいくのが見えた。


帰り道。
ナビの通りに進む。来た時の道は表示されなかった。


駅につき、長いエスカレーターに乗る。(コーヒーショップはすでに閉まっていた。)
人影は全くない。

銀色の大きな改札ゲートを通りぬける。

そこで眼鏡にはオレンジの文字でlog out と表示された。
私は視線の動きでその文字を選択した。










私の意識は、箱の中に戻った。

内側からロックを外すと、蓋がスライドする。

椅子から立ち上がって箱の外に出る。窓ガラスが風で振動しているのを感じた。


微かに灰の匂いがする。暖炉の火はもう消えたようだ。

此処ではより繊細に香りを感じることができる。


SR(Substitutional Reality)システムを使った取材にはずいぶん慣れたように思う。

(チャットやメールは昔の電報と変わらないし、VRでは表情と心が見えないのが物足りなく、コミュニケーションではないのだ。少なくとも私にとっては。


それに、移動にかけられる時間とコストは、私にとってもこの星にとっても大きすぎる。

一方で、“ 触れ合い ” を遠ざけるには、人間は孤独への抗体をまだ十分に備えていない。


古い木の窓枠の中に、赤色の空が広がっていた。

鳥の影が2つ、見えたような気がした。


町はずれの古いスピーカーからは、外に出ないようにという放送が今日も流れている。また今日も感染者が確認されたらしい。



ふと、あの冷たい手は、今どこにあるのだろうと思った。
無事だろうか。

言葉を交わした彼の思考と、頼りなげな話し方だけが耳に残っている。

SR内で記録した画像と音声データを再生することはいつでもできる。しかし彼と直接会うことは、こちらの世界ではもう叶わない。



あの古い大きな貯水槽の色だけが、不思議ともう思い出せなかった。


(了)

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