59歳と365日。40年熱望し続けたニューヨーク移住へ出発。6年ぶりのJFKへの巻
ハワイからNYまでの機内は、羽田からと同様窓側で、隣席はでっかい陽気なおじちゃんだった。
そして今度は国内移動になるので、日本人CAはおらず、日本語は一切なし。けれど不安はなかった。よほど困ったことが起きない限り、このまま大人しく乗っていたらNYに連れて行ってくれるのだから。
実は、羽田からホノルルまでの間、携帯の充電ができなかった。ネットが使えたため、友人たちとLINEのやりとりをしていたので、電池がどんどん減っていったのだが、コードを差しても反応がなかったのだ。そして今回も同じく充電できない。予備のコードが機内持ち込みスーツケースの中に入っていたので、CAに訴えると(ジェスチャーで)、離陸直前に出させてくれた。
隣のでっかいおじちゃんに迷惑をかけながら出したコードを使っても、やはり電気は通らず充電できなかった。充電バッテリーを持っていたので、それほど心配はしなかったが、何故充電できなかったのかは、今も謎である。
機内食は、ミートボールだったのだが、やはり量は少なく、ミートボールのお肉が臭くて(肉肉しくて)食べられず、残してしまった。
2回目の食事の朝食も、マフィンとみかん1個ずつ、小さなスナックとチーズなど、小学生のおやつのような朝食だった。
JFK(NY)到着予定は7:20だったのだが、6:10頃にはNYの街並みがかなりはっきり見えるようになってきて、目の前のモニター内の飛行機は既にNYにいた。
そして予定より40分も早く、6:40に到着した。恐らく機内アナウンスはあったのだと思うが、英語が分からないので、理解できなかったのだろう。
空港まで迎えに来てくれることになっているホストファミリーに、慌ててメッセージを入れた。
飛行機が着陸する少し前から、機内にはハワイアン音楽がかかり始めた。
ちょっと、ここNew Yorkなんですけど。
どうせならハワイでかけてくれたらよかったのに。
これから私は、かなりの覚悟でもって、New Yorkに乗り込むのに、
言葉の最後にやたらと「マハロ」(ハワイ語でありがとう)が連呼されることや、ゆったりしたハワイアンは、場所も、私にとっても、明らかに似合わなかった。
それでも、自分自身に誓った。
40年憧れ続けたNew Yorkで、私は転んでも立ち上がり、
血を流しながらでも突っ走る。そしてNYを楽しみ尽くすと。