勤務する世界線と私
7月の最終週は、子どもが体調を崩しててんやわんやしていた。
幸い(?)コロナではなかったものの、仕事を抱えながら看病を続けるのは思ったよりもつらい。何より、子どもがしんどそうなのを見るのは堪える。
仕事が忙しい時は病児保育に預けるのも選択肢の一つだが、これも悩みどころで、普段通っていない保育士の方々と体調不良の時に子どもが打ち解けられず、泣きまくって悪化するのではなかろうか、と二の足を踏んでしまう。
何より、病児保育OKの承諾を医師から得るために小児科を2度ほど受診しなければならないのがハードル。それだけの時間を、仕事が忙しい日に割けるだろうか。
私は近隣に祖父母などの頼れる人がいない(コロナが流行ってから、子どもの体調不良で祖父母を頼る、という選択肢がそもそもなくなったようにも感じるが)。だから、夫とスケジュールを調整するしか方法がない。
何度目かわからないセリフ、「せめてコロナ禍じゃなければなぁ」が漏れる。
……いや、コロナ禍じゃなくても、状況はあまり変わらないか。
こういうとき、私は、いろんな世界線に生きるワタシを想像する。
専業主婦のワタシ、実家や義実家の近くに住んでいるワタシ、シングルマザーのワタシーー。
その中の、「会社員のワタシ」が「どうすればいいんだ!」と心の中でわめいている。
そうだよなぁ。会社員だったら、有給もなくなっちゃうし、でも頼れる人もいないし、八方ふさがり。想像しただけで、子どもを大切にしたい気持ちと、仕事をちゃんと進めたい気持ちにきゅっと挟まって、胸が苦しくなる。
両立できない自分を見つめ続けるのがつらくて、仕事をやめていたかもしれない。
なんで私だけこんなにもんもんと考えているんだろうと悲しくなるけれど、もし夫だったら、迷いなく病児保育や祖父母を頼るのだろうな。だって、そうじゃないと仕事がまわらなくなるから。
そう思うと、こういう考えに至る自分は、考えが甘いのか、それとも母心で判断が鈍っているのか。どちらなのだろう。母心って、ずるいいいわけなのかな。看病で寝不足の頭で見定めている。