ひょうたんに穴を開けてみる
熱中してみる。
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「ひょうたんランプ」という存在を、つい最近母親が教えてくれた。
皮だけのひょうたんに穴が開いていて、そのなかにセットした小さな電灯がともると、明かりが穴からもれ出るというランプだ。
母親は一度ひょうたんランプをつくる教室に参加したことがあり、2回目の教室を誘ってくれた。僕はよくわからないながら申し込んでみた。
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土曜日、デパートのカルチャーセンターで、その教室は開かれた。
そこまで広くない部屋で、僕と僕のおかあさんをふくんだ計5名が生徒として参加した。生徒さんは30歳の僕よりはるかに年上に見えた。
先生は60歳をこえているがとても活力的な女性である。
テーブルの上には、100均の目通しとカッター、そしてこぶしよりひとまり小さい皮だけのひょうたんが2個ずつ、各生徒に配られた。
テーブルの中央には、先生が作成したというひょうたんランプがおかれている。基本的には、目通しで穴を開けて模様をつくる。初めてで気後れしていた僕は、先生の作品を見ながら一部を真似してみる。
まずは、ひょうたんのへた近くのぐるりに穴を開けてみるか。
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目通しをひょうたんに当てて、くいと少しの力を入れるだけで穴はうがたれた。ただ、等間隔でうがつことは難しく、そして気がつくと上下に穴がぶれている。
「穴は等間隔で入れるときれいだよ。あと、目通しを根もとまで刺すと穴が大きくなって、光をともしたときにきれいだよ」
先生が生徒全員にアドバイスをする。やっと一周分に穴を開けるが、なんとも不格好に見えた。
次は穴の間隔を大きくしてみる。その次は、穴そのものも大きくしてみよう。気がつくと、黙々と僕は目通しをひょうたんに刺していた。
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目通しを動かしながら、ふと気がつく。
僕たちには、さまざまな「表現の方法」が許されていたのだ。口で話すことと、毎週書いているこの雑文だけが僕の表現になっていた。
でも、それだけじゃなかった。ひょうたんに穴を開けることで、僕という人間を表現することができる。ということは、表現の方法はもっともっとあるはずた。
そんなこと、すっかり忘れていた。
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1時間半をついやしたが、ひょうたんランプは完成しなかった。持ち帰って、続きをしてみよう。
これは楽しいぞ。僕自身が穴そのものとなり、ひょうたんの表皮にあらわれるのだ。