まずは一人で、いざアフリカへ
「この飛行機は落ちないでほしい」
初めて、そう思った。
今まで何度も飛行機に乗っているが、飛行機が落ちることを考えたことはなかった。
考えても、仕方ないと思っていた。
だけど、今回は違う。
落ちては困るのだ。無事に目的地に着かなければならない。
夫と10歳の息子を日本に置いて、アフリカに旅立つのだから。
6年間、ずっと温めてきた海外赴任。
コロナ禍で一時はどうなるかと思ったが、ようやく実現することになった。
一点、ずっと悩んでいたのは、アフリカに夫を連れて行くか否かだ。
仕事を辞めてしまうと、帰国後の再就職にも響くからだ。
「お手伝いや運転手を雇えば母子だけでもやっていけるよ」
アフリカに赴任したことのある人にそう言われても、なかなか踏ん切りがつかなかった。
決め手になったのは、孫を案ずる実家の母の言葉だった。
「あんたは何もわかっていない。あの子は、寂しがり屋なのよ。あんたが時間通りに帰宅しなかったとき、電柱の影で泣いてたんだから」
息子は、涙を拭って、なんでもないように「ばあば」と言って現れたそうだ。真っ赤になった目が、実家の母には痛々しかったらしい。
「あんたは何もわかっていない」
そうなのかもしれない。自分の思いを押し付けすぎて、息子の気持ちまで汲んではいなかった。夫より私といることを選んでくれた息子に、感謝すらせず、しなくていい苦労を課せようとしていたのかもしれない。
息子のために、最終的に夫に付いてきてもらう決断をしたのは、渡航する約4ヶ月前だった。
3人で一緒に渡航するはずだったが、5~11歳の新型コロナウイルスの予防接種が開始され、息子は2回接種して、夫と3週間後に遅れて渡航することになった。
振り返っても、あっという間の4ヶ月だった。
その間に世界では戦争が起こり、新しいコロナの株が発生し、もう何が起こってもおかしくはない状況だった。
今、飛行機の中でシートベルトを締め、小さな窓から外の暗闇を眺める。
家族を置いて、一人で旅立つことに不安がよぎる。
当たり前の日常が当たり前ではなかったと、気づき始めている自分がいる。
飛行機の中には家族連れがいた。
父親が荷物をキャビネットに入れ、母親は立ったまま子どもと話している。はしゃぐ子どもの声が甘く耳にまとわりつく。
「あの子も私の隣の席に座るはずだったのに……」
息子の笑った顔が目の前に浮かぶ。
きっと窓際の席にちょこんと座って、ワクワクしながら、暗闇の中で光る滑走路のライトを眺めていたに違いない。
だけど、今、私の隣にはいない。
あんなふうに家族がそばにいる。それだけで、十分だった。
なのに、私は「家族は大切だ」と頭でわかっていながらも、行動は伴っていなかった。
出国前、わたしはすぐにイライラし、家で怒ってばかりいた。
「お母さん、怒るとお子さんの脳の思考が止まりますよ」
塾の先生にそう言われて、褒めることを心がけていたが、その反動か、結局爆発してしまう。
「いただきます」を言わない男どもに目くじらを立てて、怒りをぶちまけ、食卓を台無しになったことも多々あった。
そして、怒った後は、必ず落ち込んだ。
その繰り返しだった。
変えたい。
どうにかしてこの生活を変えたい。
5年間ずっとそう思っていたが、何も変わらなかった。
それは、夫と息子を変えようとしていたからに他ならなかった。
そう、今ならわかる。
問題は夫や息子ではなかった。
変わるべきは自分だった。
寝るのが遅い息子にいつもイライラしていた。
でも、夕食の支度をもっと早くして、お風呂の時間も早めたら、
息子も夜の時間の使い方を変えられたかもしれない。
夫だってそうだ。
私がいつも穏やかに話していたら、夫もやさしい口調で話せたかもしれない。
そして、何より感謝が足りなかった。
男女平等、夫が家事や買い物をするのを当たり前だと思っていた。
息子に対しても、元気にこの世に存在してくれたことへのありがたみを、すっかりどこかに忘れてきてしまっていた。
だから、3週間後にアフリカで再会したとき、感じるであろう感謝を、私はしっかりと心に刻みつける。
アフリカでは、約4,000万人が深刻な飢餓に直面しているという。j
これからは、そういう現実を目の当たりにするのかもしれない。
今、私は、未知の国に行こうとしている。
本やテレビでしか知らない世界へ。
今までの日本での常識が、どんなふうに変わっていくのか。
自分の価値観が、どんなふうに揺らいでいくのか。
大切なことに、どれだけ気付くことができるのか。
まずは、目の前の家族から大切にしていく。
それが原点になって、アフリカの人々を大切にしていくことにつながるはずだから。
窓から見える滑走路のライトがゆっくりと動いていく。
飛行機のエンジン音を全身で感じる。
さあ、行こう