「ちゃん付け」のわだかまり
高校生で施設に行った私。
施設での暮らしは大好きだったしご飯が3食出てくる時点で感動だった私には十分すぎる生活だったけれど、つい最近まで職員に言えなかった「わだかまり」があった。
それは、「あだ名や呼び捨てで呼ばれる子ども」と「ちゃん付けされる子ども」の2つがあって、私は後者であったこと、である。
あだ名で呼ばれる子どもはだいたい昔からいる子か人より手間のかかる(家出したり非行に走ってしまう)子だった。
それを当時の私はなんだか気に入らなかった。
そしてこう思った。
「私は大きくなってから来たから、みんなより手間かからずに育つから、職員は注目してくれてないんじゃないか。」
私はいろんな手段を使って注目を浴びたいと思うようになった。
小学生たちがぐっすり眠っている夜に職員室に行って「眠れなーい」と夜勤の職員の所にたむろした。
悪いことはしたくなかったが、リスカもしたしオーバードーズもした(職員には言えなかったけど)。
それでも結局私は最後までちゃん付けで呼ばれた。
そして退所するまで、そして退所してからもそのちゃん付けで呼ばれた。
他人でないはずなのにどこかみんな距離を取っているかのような、「しっかりした高校生」というある意味嫌な烙印を押されているような、そんな気持ちだった。
私が退所したらみんな私のことなんか忘れてしまうんじゃないか。
そういう思いがたくさんあって退所後何回も施設に帰省した。
そして「ゆきちゃん!おかえり!」という言葉を聞いて、みんな忘れてないんだな、まだ居場所があるんだなと確認していた。
そうして月日が流れて行って、私もだんだん大人になって「~ちゃん」と呼ばれることにも抵抗が無くなった。でも施設にいたあの時に感じたわだかまりは解決されなかった。
ちょうど先月、施設に帰省した。
それで、ちょうど信頼できる昔からの職員が2人居たので、私は言ってみることにした。
~ちゃん付けが実は嫌だったこと、距離を取られているような気分だったこと、昔からいる子よりも愛着が無いのかなと思っていたこと。
そうしたら職員は驚いた顔をして、
「ええ!そうだったの!!」と。
そして施設で呼び捨てやあだ名で呼ぶ子とそうでない子の違い(?)を教えてくれた。
「呼び捨てとかあだ名は…私もしっかりとは区別してないのよ~~。『この呼び方で呼んでほしい』って言ってくれた子にはその呼び方で呼ぶし、注意したときに反抗したり言い返したりしてくる子は自然と『だって○○がこう言ったんじゃん!』って呼び捨てになるし。」
私は唖然とした。
あの悩み続けた日々は一体なんだったんだろう。
私が「ちゃん付けは嫌だ」と言えば、それで済んだ話なんだ。
緊張の糸がぷつっと切れたように私は「なんだ!そういうことか!」と職員と笑いあった。
そして職員はこうも言ってくれた。
「ゆきちゃんに言われて、新たな気づきになったわ。確かにそれが嫌っていう気持ちも分かるな~」と。
でも当時の記憶はそれはそれで取っておきたいな、と私は思った。
入所したての私は「私はこうしたいです!」なんて言えない子どもだったから。「なんて呼ばれたい?」とか聞かれてもきっと何も答えられないだろうな、と。
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