児童養護施設、「感謝」が一部ルール化、ツール化した世界で
どうもこんにちは。ゆきちかさん、という名前でnoteを書いています。児童養護施設の心理職として働いています。
本noteの目的は、“児童養護施設”の検索結果をよりグラデーション豊かにする、というものです。
今回は「感謝」をテーマにお話しします。
※1 既に「うっ!」と嫌な感覚を感じた方がいるならば(私はそういうタイプ)、何故嫌なのか、一つの解を示してみようと思います。
※2 読む人にとっては怒り出しそうなタイトルについて。タイトルの「児童養護施設」は「学校」と読み替えても良いし、「家庭」と読み替えても良いし、「会社」としても、「社会」としても繋がる話、と思って書きます。このタイトルに引っかかるタイプの人は苦手です。
感謝の念は不等価交換の賜物?
いかに感謝が大切か。
児童養護施設に限らず、大人はとにかくいろんな手を使って説明を試みます。
しかし、実際に関わっている人が、「自分が支払った価値に比べて、とてつもなく大きなものをもらってしまった!」「有り難い!(貴重な出来事だ!)」という不等価交換を感じることがない場合、感謝はルール化するか、ツール化すると思います。
というのも、不等価交換、つまりどちらかに価値が偏る交換が行われて、心理的には貸し借りのある状態にならないと、それは「精算」が済んだ関係になってしまうのです。これ以上相手に何もしなくても良くなるわけです。
児童養護施設では、前回記したように、入所の段階で「精算」の状態に陥ってしまうケースが起こり得ます。その関係性において、子どもが「これはとても価値があることだ」と自然に判断できること以外は、
①ルール化:感謝の気持ちがなくても、感謝しないことによる具体的な不利益を被るので守らないといけない(「ありがとう」が言えない人、のような否定的評価)、
②ツール化:感謝の気持ちの有無に関わらず、感謝の意を伝えることで具体的な利益が得られるのでやった方がお得になる(可愛がられる、自分の意向を受け入れてもらいやすくなる)
…という派生の仕方をしてしまうのです。
もちろん、これにより不要なトラブルを避けることはできます。できるなら守ったり、使ったりすれば良いと思うのです。子どもにとってお得になる、という意味で私も言うことがあります(もちろん自分が言われて嫌な言い方は避ける)。
しかし、ルール化とツール化がメインになってしまうと、感謝の本質は失われ、施設長やベテラン職員の言葉は単なる空気の振動と化してしまいます。それだけならまだしも、こういった言葉を「思考や行動を強制してくる相手だ」と感じてしまうことを課題の中心核に持つ子どもには、この上ない怒りの燃焼促進剤として機能します。
私も過去には、気持ちのこもっていただろう感謝の大切さを説くお話を、ただの空気の振動として認識していた時期があります。そうでもしないと「自然に感謝の念を持つことができない自分は人間として欠陥品だ」と自己否定しなければならなかったからです。
それにより身につけた“感謝”とは、完全に「無駄に損をしない方法としての、常識的な人として生きるための“感謝”」だったのだと思います。(あと無意味に「スイマセン」って言っちゃう…。今では本当に無駄に空気を振動させてるな〜、と思いながら、でも言ってます)
感謝という言葉を、単なる空気の振動にしないために
感謝の本質は何か。「すごく良いものをもらったんだけど、価値がありすぎて、ちょっとやそっと何かしたくらいでは返しようがない」の意を表すサイン、だと思います。こういうの、何て言うんでしょう?「健全な負債感」(影山,2015)を援用すると、「健全な債務不履行状態」でしょうか?
それだけではなく、感謝される側が贈った分のテイクを求めていない、贈ってきた本人に対しては、返しても、返さなくても良い状態が伴っている感じだと思います。
すると、価値を受け取った人は、自身に付加された価値を感じながら、尚且つ他者に価値を贈る余裕を持つことになる。貪欲に自己の利益、利潤を求めなくても満たされている。何なら誰かに分け与える余裕があって、贈ることで別の誰かを健全な債務不履行状態にする。
健全な負債感と贈り手経験で得られる、価値を流通した感覚こそ感謝の本質…?…この捉え方、どんなものでしょうか…?
この価値交換のあり方を、金銭的な価値交換以外で実践できる仕組みを回すことが一つの目標です。ハードル高すぎですかね…。
児童養護施設で働きながら、上手く価値を受け取ること
上に記したプロセスで重要なのは、仕組み作りももちろんですが、起点となる贈り手の存在です。市場で価値を流通させるために元となる資本が必要なように、本質的な感謝を流通させるためには誰かが動く必要があります。
感謝の資本を集めるにはどうするか。これはそうですね、やりたい、価値がある、と思えた人が、感謝の習慣を作って価値に満たされることが大切だと思います。
(書いておいて、「結局人に感謝を押し付けていませんか?」と自分ツッコミを入れますが、確かに私が流通させている感謝の量、微妙かも。施設の中では相当高い方だと自負しているのですが、ここにきて自信がない…。いや、でもとりあえず書き切ってみたいと思います!!)
自分でもまだやってはいないアイデアを書いて、実践して報告させていただきたいと思います。とりあえず以下の方法を取ろうと思います。
①今の施設にいる子ども、職員の名前をリストアップ。
②それぞれの人から、自分が何を受け取っているか(または受け取ったか)を全員分記入する。
③受け取った価値の総量を文字から感じ取る。
④有り難がる。
良いですね!ポジティブな要素しか感じられない。これがあると、「例えば、君がいるだけで、心が強くなれる〜こと」とか歌えそうです。それだけに限らず、「あなたがいてくれるだけで、私は給料以上のこんな価値を受け取っているよ!」と子どもに素直に言えそうです。ほら、言葉にしないと伝わらないって言いますし。
ということで、やってみます。
今日はこの辺で!ありがとうございました。
ゆきちかさん
自分の好きな施設に訪問して回りたいと思います! もしサポートがあれば移動費と施設へのお土産代に費やします!