許せよ自分
人を怒らせて人間関係を持つ子どもをどうする?って話。
人を使って自分を縛らせて、それによって人と繋がっている子どもがいる。人というか、世界というか、とにかくその繋がり方が生き方とほとんど重なると思う。(もちろん私の主観で見た上の話。結構偏っているわけだけどお付き合いをよろしく。)
人との関わりはこのようにすべきだ、こうした方が円滑にいく、その方があなたにとって特になる、みたいな助言をする場面もあるけれど、自分に怒りを示す相手に行動させて関係を生じさせ、維持するというワザは、繋がり方としてナシじゃない。
善悪の価値観を端っこに置いといて、その子を中心としたネットワークの動き方を見ると、人体の作りとは違うけれど、ある一定の生態を備えた一つの生き物のように感じる。不思議な形の生き物が関節をどのように動かして移動するのかを見ているような気分になる。(誰かの同意を得られるか不安になってきた)
自分についても言えるなあ。何か自分の体の持つ物理的な範囲を超えて動いている。誰かの頭の中にいる私が働いている。笑ってたり泣いてたり、暴力を振るったり振るわれたり、何ならエロいことをしているとか、人の形を保っていない別の姿になっているとか、想像は絶えない。誰かの中の私が何をしていても、私はコントロールできないのだけど、みんなの頭の中の「私」達を集結させたら、結果としては、とっても私らしいのではないかと思う。ただ、(いや、だから、と書くか)総体的な私がこんな人であってほしい、みたいな願望があって、それをコントロールしたくなって、結局自分の思考や行動を縛って固定化している節がある。
私はその自縛(そして地縛であり自爆でもある)から飛び出したい。とりあえずこの文章を書きながら飛び出している。公開するつもりで書いているから。
自縛のネットワークからの脱出。
高校デビューとか、大学デビューとか、つまりはそんなことなのかもしれないけど、新しいネットワークにデビューするんだ。新しい自分が何をしてても大丈夫。だとしたら何がしたいだろう。
件の子どもにも聞いてみよう。もしかしたら、自縛ネットワークの一部である私も丸っと放り投げられるわけだけど、ここじゃないどこかに行くのも楽しいと思う。生きているし、楽しんでほしい。
てことで、許せよ自分の存在を。
ゆきちかさん
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