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予想し得なかった悪夢の中に現れる、予想し得なかった幸福
こんにちは、ゆきちかです。児童養護施設で心理職をしながら、最近お出かけしたチェルノブイリツアーの感想文を書いています。
「最近」と言っても、ツアーから既に1ヶ月半。
身の内に収めきれなかった体験がじんわりと体に馴染んでいくような感覚を経て、最近はツアーに行ったことを忘れている日が出てきています。ちょっと残念な気持ちがある一方で、ある程度は身になったのかなあ?と思います。
さて、この距離感を持って、振り返るのはツアー1日目、チェルノブイリ博物館で行われたインタビューです。
事故前から原発のエンジニアとして働いていたアレクセイさん(写真中央右)と、ソ連の空軍士官であり事故後に放射能物質の飛散抑制の任務に当たったアンドレイさん(写真中央左)。それぞれ事故発生後にどのような作業を行ったのかを語ってくれました。
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とりあえずチェルノブイリ博物館についてご紹介を。
チェルノブイリ博物館は、チェルノブイリの事故が起こった直後、現場に駆けつけて消化活動を行った消防士たちが勤務していた消防署を改装して作られたミュージアム。
今尚生きている人々の写真も多く展示されていて、事故後に避難を余儀なくされた人、原発事故の処理作業に関わった人、家族や仲間を失った人などが過去を振り返り、今を生きるために祈りを捧げることができる場所として展示が構成されているようです。
展示品の全てが一つなぎになっているような印象を受ける不思議な展示。「歴史を学ぶ博物館!」というよりも「他人の記憶の中に飛び込んだ」という感覚でした。
記憶の集合体の中。
集まった展示品を整理して、それぞれ置きどころは定めたけれど、記憶の一つ一つは静かになんかしていなくて、混じり合って、渦巻いて、見る人を飲み込む気満々!みたいな展示でした。
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一通り展示を見終わった後、一面に子どもたちの顔写真が並んだ祭壇のようなスペースにて、アレクセイさんとアンドレイさんのお話を聞きました。
冒頭、アレクセイさんは「バカな質問というものはない。バカな答えだけがあるだけ。何でも聞いてほしい」と言って、何とも開かれた態度を示してくれました(私も話を聞かれる立場の時は言っちゃおう…!!)。
その後はお二人が事故が発生して以降にどのような経験をされたのかを教えてくれました。
アレクセイさんは原発の主任エンジニアとして、けが人捜索、消化活動、損害状況の調査、更なる事故の予防、原子炉冷却のための水の供給など内部構造を知る者にしかできない作業を行ったそうです。水の供給については、効果が見込めないことを知りながらも命令に従って行動した、供給ポンプが壊れていて結局失敗に終わったが、自分の押したポンプのボタンが事故を起こした4号機の最後のボタン操作だった…と話していました。
アンドレイさんは空軍の士官であり、輸送ヘリのパイロットだったそうです。原子炉から12キロ離れた場所に敷かれた基地から、砂や粘土を混ぜたものを輸送し、原子炉直上から投下して放射能物質の飛散を抑える作業に当たったそうです。ヘリ8台で観覧車のように回る作業。22日間に渡る作業で5000トンを超える量を投下したとのこと。何度も往復を繰り返しながら、人がいた痕跡だけを残したプリピャチの街の違和感を見ていたそうです。
↑アンドレイさんの当時の写真。
その後は補足が入って質疑応答タイムへ。技術的な問題や健康被害の状況、チェルノブイリの問題と政治との関わりなどの話題を聞くことができました。技術的な問題はチンプンカンプンなので内省モードに入る私。私の中ではちょっとしたざわざわ感が起きていました。
「この話はどれくらいパッケージ化された話なのかな?単純に説明慣れしているだけなのかもしれないけど、すごく冷静な語り口…。とても丁寧だし、わかりやすいのだけど、客観的な事実だけをやり取りするには、この場所が放つエネルギー強すぎない?まあ初対面だし、私たちのキャラクターがどんなものかわからないんだからこんな感じなのかな…?
なんだろう、もしいろんな試行錯誤を経た結果としてこの落ち着き感があるとしたら、この人たちの中にあるのは客観的事実だけじゃないような…?
アレクセイさんはエンジニアとして事故の深刻さを理解していただろうし、アンドレイさんも頭でわかる危険と作戦中に命令に従うことの普通が共存している状態だったと言っていたし、展示も説明の内容も“とにかくヤバいこと”を突きつけているけど、“とにかくヤバいこと”を背負ってその後32年間生きるって、何をどうするんだろう?
事故が引き起こした影響の全てが悪いことで埋め尽くされているのだろうか…?確かに事故は悪いことだったとしても、何かの間違いで良い結果も生み出してしまうことはないのだろうか…?」
ということで、「そろそろ最後の質問に…」の声がかかった瞬間に、小学校1年生もびっくりな、指先ピーンの挙手。
大幅な時間超過状況でご迷惑と知りながら、且つ冒頭のアレクセイさんの「バカな質問というものはない」の言葉に頼る気持ちを振り絞り、質問をさせてもらいました。
「事故があって良かった、と言えることって何かありますか?」
不謹慎かもしれないけど…と前置きしたものの、「どういう範囲で?個人的なこと?」との逆質問に「あーごめんなさいやっぱり不謹慎でしたよねごめんなさいー!めっちゃ不機嫌になったりしたらほんともう皆さんごめんなさいー!」と吹き出る汗。「あのその、えーと、どっちかっていうと、個人的なことで…」みたいなおどおどした返答になっていたのではないかと思います。
最初に答えてくれたのはアンドレイさん。メモしてないし、緊張でうろ覚えなのだけれど、
「たくさんの表彰は受けたが、亡くなった仲間も含めて表彰されたもので、どんなに素晴らしいことと言われても個人的に嬉しく思うことは決してない」
というような、私の質問意図からするとちょっとずれた回答でした。きっと質問の不謹慎さを躱して誠実に答えてくれた結果なのだろうと思います。
続けて答えてくれたアレクセイさんの言葉はなかなかに衝撃的。
「フィジックス(物理学)を辞めて、リリック(詩)を仕事にできたこと」
「ジャーナリストになったこと、画家のチームに入ったこと。これについては事故がなかったら起きなかったことだと思う」
最悪の事故のはずが、その後の良いと思える現在につながるきっかけを作っていたというこの事実!いやほんと大げさですけれども、世界に様々起こっている“最悪な出来事”の影響を受ける全ての人にお伝えしたい!と思いました。その最悪の出来事、良いことのきっかけかもしれませんよ!!と。
見方の押し売りまでしないにしても、人が全く予期せぬアクシデントから、それ以前には想像もしなかった幸せを構成してしまう、少なくともそういう可能性を持ち合わせた存在である、ということは私にとっては希望にしか見えませんでした。
ありがとう、アレクセイさん&アンドレイさん。
(ちなみに、このやり取りで質問の面白さにハマった私はシロタさん相手にやらかしています。)
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さて、時間軸をちょっと移動しまして、ツアーの2週間後に開催された事後セミナー。本人にその気は無くとも、「写ってしまった何か」が意味を放つことの面白さを目の当たりにしました。意図がなかったにも関わらず、後になって「良かったこと」の側面が顔を出してしまうことがある。
これは、ある時点においては「良いこと」にも「悪いこと」にも転ぶよ、という話になるのだけど、「良いこと」が「悪いこと」に転じても、またそれが「良いこと」に転じる変化の可能性があるわけです。もうとにかく変わり続けていくわけで、悲観しなくても、していても良い、突如として、あらぬ方向から救われてしまうことがあり得る、と思うだけで何でも楽しくできそうです。
何となく思っていたことではあるのですが、遠い国に行ってその証拠を見つけて帰ってきた、というのが誇らしいのです。
てなわけで、
どんなに頑張って悪夢をはびこらせても、希望は生じてしまう。
どんなに希望を語っても、万に一つの悪夢が生じてしまうように。
というお話でした。
さて、予定している内容もいよいよ大詰め!しかも書きたいことリストにはなにやら壮大なことが書いてある…。うまく着地できるのか、私!?
ひとまずは、お読みいただいてありがとうございました。
ゆきちかさん
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