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私が尊敬する母の話

あなたは、自分の親をリスペクトしていますか?
【感謝している】と思う方は多いのではないでしょうか。
素直に【尊敬している】とも思えたら素敵ですね。

私は母のもとに生まれてきて、母に育てられて、本当に良かったと心から思っています。

そんな、偉大なる私の母のお話。


自分が教育者になって改めて思う母の凄さ

よく、自分が親になって初めて親の偉大さがわかるといいますよね。

私は長年の妊活実らず、残念ながら自分が親になる夢は叶わなかったのですが、先生と呼ばれる仕事を長くしてきた中で学んだことや得た考え方はたくさんあります。
そんな私が今改めて思うのも、やはり母は凄い人だということ。

毎年、母の日には花やお菓子など
感謝を込めて贈り物をしています。

過去記事でも書きましたが、子どもの頃私は母に「勉強しなさい」「宿題やったの?」とか「こんな習い事しなさい」など一度も言われたことがありません。

小学校にあがった頃も、連絡帳はちゃんと目を通してくれていたけど、時間割合わせやら忘れ物チェックやらを母がすることはなかった。
母「大丈夫ね?」→私「うん。大丈夫~。」の確認で終わり。
夏休みの宿題がどこまで進んでるか、なども聞かれたことはありません。(追い込まれないとできないタイプだった私。)
言われていたのは「夜10時までに寝ること」だけ。

でもそれは【放任主義】ではなく【信じて任せていた】のです。

私は小さいころから負けず嫌いで見栄っ張りな性格で、あまのじゃくな部分もあったので、それを母が見抜いて敢えてそうしていたのかも。
「やれって言われたら、やろうと思ってたのにやる気なくすんだよな~。」みたいなこと言う子いますよね。まさに、そんな感じ。

この子はやりなさいと言われて素直にやるような性格ではないなと判断してのことなのか、自分で考えて自分で決めることの大切さを尊重してくれていたのか、母は私が成人するまで進路なども一切口出しせず、すべて決定権を私自身に任せてくれていました。
いつも、私「こうしたいんだけど、いい?」→母「分かった。いいよ~。」と、どうしたいか自分で決めてからの事後報告。
反対されたことはなく、いつでもそれを応援してくれた母。まじリスペクト!

食べ物の好き嫌いが多かった子ども時代でしたが
いつも工夫してごはんを作ってくれていました。

「~のせいで」ではなく「~のおかげで」と言える人

私が小学校にあがる頃、同居の祖母(父の母)の認知症が進んでいきました。排尿に失敗することが増え、父はそれを見つけると祖母を蹴ったり叱責したり部屋に入れないよう締め出したりする人でした。
いつもその処理をするのは母なのに。母や私たち姉妹が先に見つけたときは、父に怒られる前に先に床を拭いて着替えてもらって、バレないようにしていました。

私は、父が嫌いでした。

自分の親なのに、母は好きで父は嫌いなの?と疑問に思われるかもしれませんが、私は父が亡くなるまでずっと、好きだとは思えませんでした。
大人になって、少し許せた部分はあっても根本的には感謝というより反面教師な感じ。

小学3年生の頃、父は半リストラ的に退職を余儀なくされ精神的な病(今思えば完全に鬱病)となり、昼間も雨戸を閉めたまま真っ暗な部屋に閉じこもって出てこない日々が続く。同じ頃に祖母が自宅では手に負えなくなり入院しました。
母は本当に大変だったと思います。祖母の病院に通うことも父にはできなかったので。一人で介護や家のことすべてとパートの仕事もしていた母。

それでも母は、
「おばあちゃんやお父さんが大変やったけど、そのおかげで娘たちはしっかりした子に育ってくれた。」
「もしあの頃もっと時間と気持ちの余裕があったら、娘たちに過干渉していたかもしれない。本当はもっと子どもにあれこれやってあげたかったからね。あんた達が自立した良い子になったのはあの頃のおかげ。本当に、お姉ちゃんもあんたも、自慢の娘。」
と私たちが大人になってからも何度もそう言ってくれました。

父は、精神的に不安定な人で、心の病気を持っていました。頻繁ではないけれど、たまにカッとなると母に手が出ることもあったし、壁を蹴ったり物を壊したり夕飯が並んでいる机をひっくり返したりしたことも。
万引き癖が長年直らず、お金をちゃんと持っていても何度も物を盗んでしまい、母が警察に呼ばれたことも数回。

娘たちとどう向き合えばいいのか分からない不器用な父は、私たち娘にどんな友だちがいるとか、趣味はどんなことなのか、なんの部活をしているとか、大学で何を学んでどんな仕事に就いたのかも、たぶんほとんど知らなかったと思います。中高生ごろの会話はまったくと言っていいほど無かったし。
私は高校を出ると、大学の近くにひとり暮らしを始め、父にはその住所すら伝えなかった。母経由で少しは伝わっていたかもしれませんが。

娘たちが父を嫌っていたのを母はもちろん知っていたけど、
「お父さんのおかげなんだから尊敬しなさい」的なことも言わず。(いやいや、言えんよね。って感じの父でした。)
母「子どもは親を選べないからね。あんな父でごめん。選んでしまったのは私やから。あんた達には迷惑がかからないように、最後まで私が責任を取る。」
と言って、離婚話も何度か出ていたけれど、結局はしませんでした。

母「離婚したら私はあの人から逃げられるけど、実の娘のあんた達はどうやっても父と関係を切ることはできない。だからそんな無責任なことはしない。」と。←凄くない?まじリスペクトの母でしょ??

父は長く重度の糖尿病を患い、足の指先が壊死したり片目をほぼ失明したり、最終的には脳出血が原因で亡くなりました。
母はお通夜の棺桶の前で、
「あんな父やったけどね。でもこんな自慢の娘を2人も残してくれたのはあの人のおかげやから、結局はやっぱり感謝してる。」
と言っていました。
私は父が亡くなったことで涙は出なかったけど、この台詞で泣けました。

悲しいけれど、「父の教え」みたいな心に残る
台詞的なものは、何一つ記憶にない。。。

どんなに辛かったことでも「~のせいで」ではなく「~のおかげで」と言える母。母のような考え方ができる人になりたいと思います。

現在、70歳を超えた母はめちゃくちゃ元気!

父が脳出血で亡くなってから今で8年?ぐらいかな。
母はひとり暮らしを謳歌しています(笑)。

週5でスポーツクラブに通い、午前はストレッチやヨガ・エアロビクス等のレッスンを受け、持参した弁当をお昼に食べたら午後はマシントレーニングやプールでアクアビクス・水中ウォーキングをして、お風呂もジムで済ませてから帰っているらしい。

毎月、旅行もしていてオーロラを見にフィンランドへ行ったりとか、マレーシアとか韓国とかの海外旅行もよく行き、国内も47都道府県すべて制覇しています。先週も尾瀬に行ったとか言うてたな~。
免許も車も持ってないけど、バスツアーやらミステリーツアーやら船の旅やら、老後の楽しみ方のお見本みたいな過ごし方をしています。あぁ、うらやましい。

義母も、元気でパワフル、おもしろくて尊敬できる人で、私も仲良くさせてもらっています。卓球が趣味で毎日のようにしていて、めちゃくちゃ上手い!夫と義母と3人で旅行にいったりも。

夫は、かりゆし58の【アンマー】を聴くと、いつも泣きます(笑)。これはほんとに名曲!もし中学生時代の自分にタイムマシンで会いに行くことができたなら、母親に「くそばばぁ!」とか言うてた反抗期でクソ生意気な俺の頭をどついてやる!のだとか。

ほんとに、母って偉大な存在ですよね。
この感謝の気持ちは、生きているうちにたくさん伝えて恩返ししたいと思っています。

お母さん、産んでくれて・育ててくれて・私を信じてくれて・色んなことを言葉だけでなく行動と姿勢で教えてくれて、本当にありがとう。これからも元気で長生きしてね。

子どもは親の背中を見て育ちます

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