新しい、古さ。スーパー歌舞伎はなぜ生まれたか
衝撃の連続だった初歌舞伎
先日、初めて歌舞伎を観劇しました。
歌舞伎といっても、スーパー歌舞伎。
現代風のセリフ回しに最新の演出を加えた、独特な歌舞伎です。
私はそれまで歌舞伎の世界には全く触れてきませんでした。
一度だけ、中学の文化鑑賞会で、『毛抜』という演目を国立劇場で観ましたが、寝てしまったんですね。(申し訳ない)
だからきちんと劇場に行き、一幕から三幕まですべてを見るのは初めてだったわけです。
そんな私が劇場に到着に、まず驚いたのが終演時間。
開演時間が16:30なので、「お年寄りの方が多いから、早く始めて早く終わるのかな?」とのんきに思っていた私。
「本日の終演時間 21:00」に目を疑います。
目を疑った、というか、本気で間違いだと思いました。
だって、ありえないもん。笑
でも、別の場所にも「本日の終演時間 21:00」。
そこでやっと、「ああ、マジなやつか」と納得しました。
そもそも、歌舞伎には三幕あり、休憩が二度あるというのも劇場内での上演時間の表を見て初めて知ったのです。ミュージカル観劇が当たり前の私にとっては衝撃でした。
と同時に、「そんなにやってくださるの!?役者さんの体力大丈夫!?」という勝手な心配を始める始末('_')
長い歴史の中で当たり前なのに。
ここですでに役者さんやスタッフさん含め、歌舞伎という世界へのリスペクトが増しました。
話の内容ではなく、演出に涙が止まらなかった
そしていよいよ上演開始です。
始まってみてまず感動したのは、「言葉がわかる!!」ということ。
そう、スーパー歌舞伎は現代の人でも楽しめるように、という想いで作られたもの。「~でござる」「~で候」みたいな言葉尻ではあるものの、時代劇を見ているような感覚なのです。
「寝ないようにしなきゃ!」と、普段飲まないブラックコーヒーを買ってから入場したのですが、そのコーヒーが無駄になった瞬間でした。
続いて驚かされたのは演出!
まずライティングがカラフルで、EDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)に合わせてヒップホップダンスと日本舞踊を混ぜたようなダンスを取り入れるなど、「ここはディスコか!?」と見紛うほど。
プロジェクションマッピングを駆使し、大量の花びらが舞い、古典歌舞伎にはありえない演出が出てくるたびに、なぜか涙がとまらず、まさか泣くと思っていなかった私は、午前中に行ったヨガのウェアで涙を拭っておりました(;д;)
様々な演出の中でも私の一番のお気に入りは、大量の水を使った演出。
たくさんの噴水が横並びになり、水の壁が出現。
そこから飛び出す登場人物たち。
CGで何でも表現できる時代だからこそ、生の迫力に感動しっぱなしで、また涙がとまりませんでした。
なぜスーパー歌舞伎は生まれたか
市川猿翁さんが三代目市川猿之助さんだった時代に生んだスーパー歌舞伎。
この演目を見てから、過去の特番の映像をあさったりして得た浅い知識で恐縮ですが、やはり周りからの批判などがあったにも関わらず、新しい文化を作り出した苦悩と勇気に感動しました。
そもそも、こういった伝統文化、伝統技術、とよばれる世界では、「古き良き」を大切にすることを重視し、逆に「新しいもの」は取り入れるべからず、とされる世界ではないでしょうか。
実際、スーパー歌舞伎を生み出す前にもエンターテイメント性の高い演出を多く取り入れた猿之助スタイルの歌舞伎でしたが、"サーカス"などと揶揄されています。
でも、なぜ世襲制の歌舞伎の世界で、こういった新しい文化が作られたのか?
それは、三代目市川猿之助さんが、祖父と父親を相次いで亡くし、「梨園の孤児」となったことが逆に後押しとなったと言われています。
そもそも配役を決めるとき、いわゆる"偉い人"たちが決めるので、その偉い人たちは、自らの一族の役者を当てたい。そこで、若い役者はそういった"偉い人"の後ろ盾によって、良い役をもらえるのだそうです。
そんな業界にもかかわらず、後ろ盾がいなくなったことで自分で道を切り拓かざるを得なくなったということ。
ただもう一点、私が感じたのは
「反対する人がいなかった」ということも大きいのではと思いました。
「いなかった」というと語弊がありますが、いわゆる、父・祖父という、御家芸を守ってきた人がもしその時にご健在だった場合、「お前だけの問題ではなく、私にも恥をかかせることになるんだぞ」などという言葉をかけられると思うのです。
そう、だから、批判は大いにあった。
でも、声の大きい人の反対はなかった、ということです。
何か新しい道を切り拓く者にとって、反対の声というのは乗り越えなければならないものです。ただ、それがもし、自分の尊敬する人、大切な人からの言葉だったら、一方的に耳をふさぐ、ということもできないのが人の性。
さらに、その人たちの栄誉を傷つけてしまう、影響が及ぶとなれば、自分だけの問題ではない。
でも、悲しいかな三代目猿之助さんにいたっては、その、大切な人を亡くしたからこそ、できた挑戦だったのかもしれません。
運命というのは後から振り返ると面白いものです。
二回も休憩があるので、プログラムを熟読していると、名前のある役どころに若い役者が多く起用されていることに気づきます。
今後の歌舞伎界を見据え、若手へのチャンスを与えた四代目市川猿之助さんの想いを感じ、そういった心意気にも感動いたしました。
私は「古い」「新しい」の二択でいうと「新しい」が好きな質で、全く触れてこなかった歌舞伎の世界。
でも、伝統が様々な時代を乗り越え、こうして残り続けているのは、「古い」だけではなく「新しい」を取り入れているからこそなのだと、一度だけ観劇したにわかファンながら、感じたのでした。
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以下WEBサイト・記事より写真を引用いたしました。
シアターテイメント
取材・文:Hiromi Kohさん
SPICE
取材・文・撮影=こむらさきさん
シネマ歌舞伎ホームページ
歌舞伎美人