3月29日はBOWIE記念日
京都。
1980年3月29日。
雨の土曜日。
風のある小雨まじりの肌寒い朝、傘を差しかけ宿から外出する姿。
髪の毛も傘も冷たそうな風になびく。
コートの前をぴったりとしめ、マフラーも巻いていたから寒の戻りでかなり寒い日だったのだろう。
写真家鋤田正義氏の手によるボウイの京都での日々を記録した写真が世に出て42年。
昨年の今頃、JR京都伊勢丹「美術館えき」にて、BOWIE x SUKITA x KYOTOと題された1980年3月の京都写真を中心にしたボウイ写真展が開催された。
プロデューサーの立川直樹氏が「ボウイ・レッド」と名づけた、京の古民家によく見られる茶色がかった赤い土壁を模した壁。
大通りから外れた裏道の、細い路地(ろおじ)を思わせる迷路のような動線は、そこからふっとボウイが顔を出すイメージだったという。
シックに作りこまれた空間に、かすかな音でHEROESのB面「Moss Garden」の琴の音が流れ、京都ならではと言える写真展となっていた。
写真自体は、過去の雑誌や写真集で既にお馴染みのものが殆どだったが、この展覧会開催にあたって、41年の時を経て発見された新しい事実は特筆すべきものだった。
ずっと俵屋旅館での撮影と思われていた浴衣写真が、浴衣の柄から俵屋ではなく蹴上の都ホテル(現ウェスティン都ホテル)であったこと。離れの和室であったらしい。
ファンの間でずっと四条烏丸近くの膏薬の辻子ではないかと言われていた、大きな黒壁にもたれて立つ写真が実は祇園花見小路の路地裏「小袖小路」であったこと。
また、写真こそ残っていないが、この写真展に多大なるご協力をされたバンヒロシさんのお知り合いによる証言で、錦市場の「三木鶏卵」で出し巻き卵を注文し、好奇心旺盛な彼は厨房まで入って行って「もっと太く巻いて」とリクエストしたそうな(笑)なんて貴重な証言なんだ!w
そして写真が撮影されたのは、1980年3月29日土曜日。
これまで3月ということはわかっていても日付までは公開されていず、厚着をしていることから3月上旬だろうかと思っていた。
それが3月の終わりの、桜満開の時期だと知った時にはもう嬉しくて涙が出そうだった。
雨のせいか桜とともに写された写真はないが、都ホテルから外出するたび右手に広がる蹴上インクラインの豊かな緑と桜並木が、毎日彼の目を愉しませたことだろう。
日付が解ると、もう伝説のように遠い日の、歴史の中の一ページである写真群が、いきなりリアルな臨場感をもって心に迫って来る。
当日の小雨、湿気、冷たい風…それらがありありと実感出来、あの日の、33歳のボウイの実在が心の中にはっきりと浮かび上がってくる。
写真展は、終盤を前にして発令された緊急事態宣言によって惜しくも中断を余儀なくされた。
予定では鋤田先生の誕生日が最終日となるはずだったので、残念でならなかった。
しかし本年6月、同じ「美術館えき」で再開されることが決定。
今年はボウイ生誕75周年であり、またティンマシーン来日30周年、イマン夫人との結婚30周年という大きな節目の重なる年である。
そしてイマン夫人との新婚旅行は祇園祭真っ最中の京都であった。
今回の写真展再開はあえて祇園祭の時期に重ねたのだろうか?
折しも同時期に盟友ブライアン・イーノ氏のインスタレーションも京都駅近くのビルで開催される。
年明けには、75周年に出遅れた感のあった京都だがここに来て俄然盛り上がってきた。
そして今年の3月29日には、おそらく日本中からボウイファンが京都に集い、ゆかりの場所を訪問することだろう。