David Bowie is @ 寺田倉庫④
ここに来るまでには大変な勇気が必要だった。
この一年間、ずっと押し殺していた喪失感が、数々の所縁の品々に接することで一気に溢れ、決壊してしまうのではないか、自分がどうにかなってしまうのではないか、そんな恐怖で一杯だった。
出来ることなら、行きたくない。
あの人がもうこの世にいないという現実を思い知らされる展示など、見たくはない。
遺品となってしまった数々の品を眺めて故人を偲ぶ…
そんなのはいやだ、そんなハズじゃなかった。
そんな気持ちを何とか克己してタイミングを掴み、やっとの思いでここへ来ることが出来た。
そして実際にこの場に来てみて、そのような思いはかき消えた。
いや、実際には消えたというより、圧倒的な展示物の素晴らしさがその思いを遥かに凌駕した。
まず初めにこの目に飛び込んでくるのはジギー時代の代名詞とも言える
(正しくは「アラディン・セイン」だが)黒エナメルの「TOKYO POP」。
そこから続く、その時代時代を飾った絢爛豪華な衣装の数々に手書きの歌詞、そして絵画やイラスト。
そのボリュームたるや圧巻の一言。
館内の照明の仄暗さも手伝って、展示室を部屋から部屋へと巡ってゆくのは
まるでお寺の胎蔵界巡りのように神秘的でもあった。
そこはとても静謐で、厳かな空気に満ちていた。
展示は、必ずしも年代順というわけではなかったがその時代時代を象徴する衣装や歌詞、映像などをクローズアップ。
決して順風ばかりではなかった彼のアーティストとして、またひとりの人間としての苦悩の時代をも窺い知ることが出来る。
そして錦のように美しい衣装のひとつひとつに込められた物語やコンセプトに思いを馳せる。
それは一大ボウイ絵巻であり、また一大叙事詩の世界であった。
一点一点の衣装、歌詞、イラスト、それらすべてが彼の魂の分身でひとつひとつが独自の生命を持ち、生きているように思えてならなかった。
年代的に相当古いものであるにもかかわらず、驚異的な保存状態の良さからか、経年をまったく感じさせない瑞々しさに溢れていた。
当時の息吹をありありと、現在に感じることが出来る展示品の数々。
それはひとりの不世出の芸術家の魂の歴史であると同時に、この会場全体が彼の意識が作り上げた無限の宇宙空間と化していた。
ここにいる私たちは、まるでメイジャートムのように、ボウイの宇宙の中を漂っている。
この立体曼荼羅ともいえる空間の中で、降り注ぐ彼の魂を全身全霊で受け止めながら。
そこにあるのはただひたすらに純粋で圧倒的な、ヴォルテックスのようなエネルギー。
生と死の枠組みを超えた永遠のいのち。
ボウイさんが好きだった祇園祭はよく「動く美術館」と称されるが彼自身こそが「生きた美術館」だったのではないか。
「カメレオン」「万華鏡」とも称されることも多かったが「生きた曼荼羅」が一番しっくりくるのではないか。
あの突然の訃報のあとも、なんとか「生きなきゃ」と思えたのは、一年後にこの回顧展の日本開催が決定していたからだ。
丁度一周忌のタイミングで日本開催されたことは、今思えば決して偶然ではないような気がする。
我々日本のファンは、一年間のクールダウンの期間を与えられ、それぞれの思いの中で回顧展の日を迎えた。
一年という時間は、悲しみを癒すには短すぎるけれど、それでもある程度には冷静になれる。
悲しみが清められ、心の奥底から深い感謝の思いが湧き上がってくる。
そして彼の生前ずっとそうだったように、再び力を与えられ、生きてゆく勇気を与えられた。
何も失われていない、私たちは何も失っていない。
この果てしない銀河の歴史の中で唯一無二の、宇宙一のスーパースターに出会え、同時代を生きることが出来たという奇跡を深く深く心に刻み、万感の思いを胸に寺田倉庫をあとにした。
帰路の運河は春の光に満ちていた。
八ツ山公園ではお花見の桜まつりの真っ最中。
天王洲の桜はまだだったけれど、対岸のソメイヨシノは満開。
そして日没。とっぷりと日が落ちて、いよいよ京都に帰る直前。
日本橋高島屋前の並木道で、それは見事な満開の夜桜が私を迎えてくれた。
それはまるで天から届いた花束のよう。
ボウイさんからのサプライズ・プレゼントに思えてならなかった。