コロナが研究生活にもたらしたもの(1)

コロナウイルスの感染が小康状態になってきたとはいえ、まだ予断は許さない状況が続いています。
そんな中でこの記事を書くのはまだ気が早いのではないかと思わないこともありませんが、今回の記事では、コロナ禍を生きるイチ大学院生のライフスタイルの変化について書いていくことにします。いきなり絶望的なことを書いても悲しみを拡散してしまうだけの記事になってしまいますから、コロナ禍がわたしにもたらした良い側面を語りたいと思います。

緊急事態宣言で大学を締め出された

コロナ禍は、昨今テレビなどの各種メディアで連日言われているように、わたしたちの生活を大きく変えてしまいました。もちろん、わたし自身もその例外ではありませんでした。
わたしの在籍する大学では、4月中旬から大学への入構が禁止され、そこから久しく大学に登校することができませんでした。

緊急事態宣言が発令されたとき、修論を控える文系院生のわたしは、図書館が使えず絶望に打ちひしがれていた記憶があります。
しかし、この締め出しは、わたしにとって図書館の利用ができないこと以外にも大きな影響がありました。

家で勉強できない

恥ずかしながら、家でまったく勉強できないタイプの人間なのです。
さかのぼれば中学生のころは、通っていた塾の自習室でしか勉強せず。高校時代も高校の校舎に無理やりプレハブ小屋をくっつけたような自習室でしか勉強せず。学部生時代も、図書館か学生部屋のようなところでしか勉強せず。それに加えて、たまにオシャレを気取って、カフェで勉強するぐらい。

とにかく「家は寝に帰るもの」というスタンスを地で行くような生徒/学生だったので、突然の蟄居宣告は、図書館が使えなくなること以上に大きな衝撃でした。プロ野球選手で言うならば、木のバットを取り上げられて、子ども用のプラスティックのバットを持たされたどころの話ではなく、素手で打ってこいと言われているような、そんな気持ちでした。
「んな、アホなことがあるかい!」と言われそうですが、家で勉強をした経験のないわたしにとっては、まさに「んな、アホなことがあるかい!」と言いたいぐらいの状況でした。本当に家で勉強しないんです、わたし。

そんなわけで、突然強制的に始まった自宅勉強・研究生活でしたが、まあ当然うまくいくはずもありませんでした。

家にいて気づいたこと

自粛期間中、家で勉強できない日々を過ごす中で、「なぜわたしは家で勉強できないのか?」という問いに対して、「『今まで自習室で勉強してきてそちらに慣れているからだ!』という答え以外の「別解」があるのではないだろうか?」と思うようになりました。というか、思わなければコロナが収束するまで一生勉強できないことになるので(笑)、無理にでも自分にそう言い聞かせて、解決の糸口を探すようになりました。

自分なりに考えた結果、おおよそ以下のような点が家で勉強できない根本的な原因だと思っています。

・部屋に物があふれている
→テスト期間、掃除しちゃうあれです。
・勉強以外のものがすぐ手の届くところにある
→昨日録画してた番組まだ見てないなとか、Word使ってたはずなのにネットで研究に全然関係ない調べ物してたとか。
・やらねばならない家事が目に付く
→伸びをして後を見たら洗濯物の山が見える
                            などなど

個別の要因をまとめてみると、家(部屋)というものが勉強以外のことに目を向けてしまう、「気が散りやすい」環境であるという結論に行き着きました。ついでにいうと、思い出した家事をすぐにできてしまうというのが厄介なんですよね。
自習室なら、椅子と机とその他最低限のものしか置いてありませんから、それらに集中することができますから、そこが大きな違いであるような気がします。

ここで同時に、自分の「注意散漫」「集中力のなさ」というものにも気づいてしまうわけですが…。競走馬が横を見ないようにするために付ける目隠しみたいなやつ、人間用にも作ってほしい…。(調べてみたら、「ブリンカー」っていう名前みたいです)

試行錯誤の日々

家で勉強できない原因をあらかた特定できたとしても、その治療法は確立されていませんから、そこからはかなりの荒療治になりました。
集中できなくても、とにかく椅子に座って文献に向き合う。勉強に関連しないものを手に取ってしまっても、気づいたらすぐにベッドに放り投げる。SNSをスマホからアンインストールする。などなど。時に功を奏しつつ、かと思えば失敗しつつ。
直近では、家事しかしない時間(早朝と夕方)をしっかり設けつつ、勉強時間を細かく刻んで設定する(気が散る前に1時間に1回10分程度の休憩をはさむ)という方法を試していますが、おおむねいい感じです。小中高の学校の授業に立ち返ってみようと思って始めたものですが、そう考えると、学校教育って「管理」という側面ではよくできてるなと思います。

研究のスイッチヒッターへ

コロナに感謝する気など1mmもありませんが、自宅で勉強することができるようになった(自宅で勉強する糸口をつかんだ、の方が正しいかも?)のは、今後研究をするにあたってもかなり大きな財産になったと思っています。いやでも自宅でやらなければならない状況でしたし、人間やればできるもんだな、と気づく良いきっかけでした。

最近ようやく大学への入構制限が緩和されてきており、少しずつですが、研究室で勉強する日々を取り戻しつつあります。現在は、家でもできる作業、研究室の方がはかどる作業、それぞれ適材適所使い分けて研究しています。野球で言うと、右打ちのバッターが、左でも打てるようになり、スイッチヒッターになった感じです。ちょうど日ハムの杉谷選手のような感じでしょうか。研究でもユーティリティープレーヤーを目指したいですね。

それでは。


【追記】第2弾、書きました。


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