yukiandnissa

大学院生です。 論文とか読書のメモを残しておく場所として開設しました。 それ以外にも、…

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大学院生です。 論文とか読書のメモを残しておく場所として開設しました。 それ以外にも、研究生活とか写真とか旅のことも書くかもしれません。

マガジン

  • 研究と世間のアナロジー

    大学院生や研究者が日々取り組んでいる「あれこれ」は、世間の人からするとあまり理解されないことが多いらしい。 研究って、実は身近なものごとに似たところがあるのだよ、という話をまとめる予定です。 説明のタネになればいいなと思っております。それと同時に、このマガジンに束ねるのは、世間にちりばめられた事例から、研究をとらえ返す営み(アナロジー)になることも目論んでいます。

  • The_aspect_of_大学院生

    読んだ本・論文のこと、研究のこと。

  • The_aspect_of_煙霞癖

    えんかへき、簡単に言うと風景好きのことらしいです。

最近の記事

『博論日記』を読んで:断片的なシーンが持つリアリティについて

先般、Twitterで少し話題になっていた『博論日記』を読んだので、この記事では、感想というか、本を読んで気づいたことを書いておきたい。ただし一読しての感想なので、ミスリーディングなどはご容赦いただければ。 出版社の方が執筆されたnoteは以下のとおり。 あらすじや、書籍の概要はそちらをご参照ください。 以降はネタバレを含んでしまうので、ご了承ください。 本noteでも少しだけ触れておくと、主人公はフランス人女性で、中等教育の教員をしたあと、大学院の博士課程に進んだ文系院

    • 研究者とミュージシャンのキャリア

      ずっとまえに、関ジャムを観ながら思ったことを少しだけ。 研究者のキャリア、とりわけ文系領域に属している人たち、さらにいえばわたしの属している分野に限った話かもしれない、また非常に短絡的で安直な比較である、と前置きをして。 研究者の出す論文と、ミュージシャンが出す楽曲のフローというのは(表面的には)とてもよく似ていると思う。 まず、研究者の方から。 研究者はたいてい大学院生というキャリアから始まる。大学院生は、大学院に入って、先輩や教員、そのほか自分の分野の研究者のマネを

      • 台風一過の蝉

        9月の下旬にも差し掛かろうかという日だった。 不規則な動きをする台風が通り過ぎ、まさに台風一過という言葉がぴったりな丘の上のキャンパス。 研究室の外からは、晴れ間を見計らったように鳴く1匹のセミの声。ただその声は、例えるならわたしが50mを全力疾走した後のように息も絶え絶えで、やけくそと言わんばかりの、ある種断末魔のような叫び声にも聞こえた。 わたしは彼のこの声に何を重ねるべきか。 盛夏のころであれば、体感温度を底上げするただのやかましいセミの1匹に過ぎないのだが、こ

        • 博士キャリアセミナーに潜り込む(後編)

          【前回の記事はこちら】 民間企業が博士という存在をどのように認識しているかを知るために、人生初のキャリアセミナーに参加したわけですが、そこでどのようなことが話されていたのか、自分なりに少しまとめてみたいと思います。 今回参加したセミナーでは、文系博士と理系博士の両方のことについて説明がありました。ちなみにわたし自身は文系に属する博士学生(※1)ですが、結果を先取りして言うと、両方聞けてよかったと思います。 異分野に飛び込める文系まずセミナーの前半では、文系博士の強みにつ

        『博論日記』を読んで:断片的なシーンが持つリアリティについて

        マガジン

        • 研究と世間のアナロジー
          1本
        • The_aspect_of_大学院生
          9本
        • The_aspect_of_煙霞癖
          0本

        記事

          博士キャリアセミナーに潜り込む(前編)

          キャリアセミナーに縁がない人生 先日、大学が開催している博士学生向けのキャリアガイダンスに潜り込んできました。「潜り込んだ」といっても、開催している大学の正規学生だし、ちゃんとgoogle formに参加登録してZOOMのURLをもらって、正々堂々と参加しているわけですが、わたし自身の気持ちに限って言うならば、まさに「潜入」という言葉がぴったりでした。  というのも、実はこういうキャリアガイダンスというか、セミナーというか、就活生の準備のようなイベントに参加するのは人生初な

          博士キャリアセミナーに潜り込む(前編)

          ひさしぶりの春

          ある日、春のぽかぽか陽気のなか、大学へと続く坂を登っていた。  不意に、この春を迎えるまでに、あるいはこの春の日差しを浴びるまでに、とても長い月日が経っていたような気がした。この日本では1年に1度は必ず来るはずなのに、すごく久しぶりの春、そんな気持ち。まあ、少し考えてみたら、こうも思うのも当然である。  春という季節が久しぶりと感じたのは、主な理由は2つ。  まず1つが、去年の春はあまり日中に外に出なかったからだ。言うまでもないだろう、あの春は、今もまだ収まらないあの感染

          ひさしぶりの春

          ご報告!

          念願かなって、本年度より博士後期課程に進学する運びとなりました! ということで、引き続き、どこにでもいる大学院生の日常(博士課程ver.)をつらつらと書いていきたいと思います。 とはいえ、昨年度中は、「修士論文執筆のための文章練習だ!」と言っていたのに筆不精で終わってしまいました…。(厳密には、下書きフォルダに文章がたくさんあるのですが、どれも考えがまとまらずに途中で書くのをやめてしまった…) ↓ 今年度からは雑記も含めて、月に2本ぐらいのペースで何かしら文章にしたいです

          コロナが研究生活にもたらしたもの(2)

          第2弾です。 前回の記事はこちら。 ↓ さて、今回はコミュニケーションの変化という観点から書きます。 オンライン会議システム(e.g. ZOOM)を使用したやり取りの弊害(?)について言及されたものはSNS上にごった返しています。たとえば、大学関連で言えば、授業終わりの時間で、議論や質問など先生との間でやり取りができないとか、そもそも授業が一方通行になりやすいとか、先生側からすれば学生の様子がわからないとか。 それまで対面でやり取りしていた日常が、ある日突然オンラインでの

          コロナが研究生活にもたらしたもの(2)

          コロナが研究生活にもたらしたもの(1)

          コロナウイルスの感染が小康状態になってきたとはいえ、まだ予断は許さない状況が続いています。 そんな中でこの記事を書くのはまだ気が早いのではないかと思わないこともありませんが、今回の記事では、コロナ禍を生きるイチ大学院生のライフスタイルの変化について書いていくことにします。いきなり絶望的なことを書いても悲しみを拡散してしまうだけの記事になってしまいますから、コロナ禍がわたしにもたらした良い側面を語りたいと思います。 緊急事態宣言で大学を締め出されたコロナ禍は、昨今テレビなどの

          コロナが研究生活にもたらしたもの(1)

          はじめまして。

          はじめに はじめまして。西の港町で勉強している大学院生です。 写真が趣味で、それとともにいろんなところに旅行しに行ったりしてます。 note開設の経緯――「書く」練習がしたい!現在、わたしは大学院修士課程の2年生ですが、これまであまり研究活動の成果を文章として形にしてきませんでした。 いっぱんに研究がはかどっている大学院生は、この時期(修士2年の春ごろ)には研究成果についてのポスター発表の準備をするなかで、研究のアウトプット訓練をしていたりするのでしょうが、わたしの場合、人

          はじめまして。