ぎっくり腰(?)に初めてなりました。

朝、目覚ましが鳴って、
うとうとしながら寝返りをうとうとしようとしたときのことでした。

私の腰の左側が、
ピキーッと言ったのです。ハッキリ言うてました。
犬がワンワン、猫がニャーニャー、腰がピキーッです。
目覚ましの音よりも、うるさいピキーッでした。

この時はじめて、
「腰はピキーッと言う」ということを知りました。

正確には、
今までも知識としてはあったけれど、ただそれだけで。
知ってはいるけど、解ってはいないことが、私には多分まだまだ沢山あります。

この日、
そのような事柄がひとつ減った という意味では意義のあることだったのかもしれませんが、痛いものは痛いですね。普通に嫌でした。

でも、今回この痛みを解ったので、
またひとつ人に優しく出来そうです。します。
そうすることで、
私の腰を労ってあげるのです。湿布を貼って安静にするだけが、腰への労わりではないと、労わりのその先へ連れて行ってやるぞ、とそういう気持ちです(?)
味わった痛みを優しさに昇華することで、報わせると、救ってやるんだと。
あと普通に、人には優しくありたい。

良い感じに言ってみましたが、
ぎっくり腰の話です。

ぎっくり腰。
私には無縁だと思っていたんですけれども、いきなり襲われました。

人はなぜか不思議なことに 自分だけは大丈夫、と思いがちだけど、いつだれがどこでどんな因果を結ぶか、何に巡り会うか本当に分からないですもんね。
良いことでも悪いことでも、自分には全く関係がない、なんて事象は無いんだと思います。

そう考えるようになってから、
たいていの事はあまり驚かなくなったつもりだったのですけれども、今回のギックリ腰にはビックリしました。ビックリ腰。
初めてだったので、ビギナービックリギックリ腰。

ビギックリ腰になって、
私が1番ハッとしたのが【お年寄りの方の動き】でした。
特に、『方向転換』

健康な状態での方向転換は、1挙動最短距離で行うけれども、腰を痛めているときにそれをすると、大変なことになるのです。

お年寄りの方などによく見られる、あの分割された細かい動きでの方向転換。

あれが1番楽で安全に動けると、身を持って体感したとき、あの動きに対して、まるで武道の技のような感動を覚えました。

「なんか知らないけどあぁ動いてる人多いよなぁ」から「だからこう動いていたのか!」
動きの存在を 知ってはいたものの、その意味を体感して理解することができ、世界がまたひとつ拓けました。

今まで、認識はしていたけれど何となくのぼんやりした存在だったものが、自分の世界の一部にはっきりとした形を持って組み込まれていく感覚。

「知ってる」から「解る」に変わるキッカケは、意外とくだらないものの中にもあるのかもしれないですね。
ギックリ腰はくだらなくありませんが。

まとめると、
【お年寄りの方などに見られる、分割された細かい動きの方向転換】は、『ギックリ腰』により、私の世界の一部になりました。知っていただけ の今までは二部でした。

いったい、なんの話をしているんでしょう。
私ももうよく分からなくなってきました。

これを書いている今は深夜三時です。
どうにもこうにも腰が痛くて、深夜三時です。
多分、この痛みに意味を持たせたくて、こんな訳の分からない文章が出来上がったのでしょう。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

最後に、
ぎっくり腰はいつ誰がなってもおかしくありません。
明日、あなたの町にもやってくるかも。
私から言えることは、
くれぐれも、戸締まりはしっかりと、です。

ではでは、おやすみやさい〜🥬

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?