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91歳父のその後。看護多機能施設で順調に回復、ついに自宅へ帰宅。

(2024/4/24のブログ記事をこちらにお引越ししました。)
寒い思いをして病院や施設に父を見舞っていた長い冬が終わり、あっという間に春の桜までいさぎよく散っていってしまいました。時間がたつのが早いですね。


今回のお話は前回(↓)の続きとなり、その後の父の様子になります。
「半年で2回死にかけた90歳父。人の生きる力とはなんだろうか?高齢両親の背中で学んだこと。」
https://note.com/yuki_yoshi/n/n5e62381f6ac1

病院で2度死にかけた父は、栄養補給のための点滴と蓄尿バッグを身体につけたまま昨年末に退院となり、自宅には戻らず、看護もリハビリもしていただける看護多機能介護施設にいったん入所することになりました。

そこでは施設に到着した日の午後からすぐに、1日1回の食事の訓練が始まりました。

病院生活では(誤嚥性肺炎を起こしたため)ほとんどものを食べていなかった父ですが、施設では看護師さんが注意深く父に食事を与えてくれるので、父も安心して味もおいしかったようで、毎回の食事を楽しみにして少量の食事をきちんと完食していました。

はじめはとろみのある液状の食事から、次第に小さく切ったおもち(お正月に出ました)やひき肉を使った野菜の煮物などが出ていたようで、ゆっくりと普通食に向かっているのがわかりました。

父は頭はボケてはいなかったので自分の状況もわかっており、身体を動かす訓練、食事の状態など、昨日よりは今日できたことが増えたと母や私に報告できるように頑張っていました。

85歳の母は自宅からバスと電車と徒歩で40分かかる父の郊外の施設まで、けなげに週3回ほど通って父を励ましたり、必要なものを買いそろえたり、看護師さんから父の様子を聞いたりしていました(私は夫の車で隔週末に実家によって、母を拾ってから父のところに1時間半かけて行っていました。)

その施設には母よりもまだ若い女性たち(要介護認定された方々)が「通い」で来ていたので、自分もいつかはそうなるかもとか、今は父の世話ができるのでありがたいとか、複雑な気分だったようです。

施設は小さかったですが、ほかに痴呆症で車いすの人、言語障害のある寝たきりの人などいらっしゃいました。

父は施設に入ってすぐに蓄尿バッグが完全に取れ、食べられる食事の量も徐々に増え、3月上旬には1日3食を食べられるようになっていたので点滴もはずれました。

(医師は看護師から都度報告を受けていたようですが、施設には2週間ごとにやって来て父の体調をチェックしていました。)

父は点滴がはずれると自分で行動がしやすくなり、車いすで施設内をちょこちょこ移動したり、ひとりでのトイレ訓練に励むようになったようです。

その頃のご飯のかたさは、普通のものよりも少し柔らかいぐらいです。どろどろのものを食べていた頃がウソのように、いろんなおかずも食べられるようになっていました。

看護多機能型居宅介護の施設は、しばらく滞在するとなるとそれなりに費用はかかりました。これは要介護レベルで料金が変わります。

父は病院を退院した時は要介護5でしたが、施設に入ってすぐに要介護4にさがりました。しかしそれでも施設にかかった費用は1か月28万円近かったです(点滴などの薬代、おむつ代などは別です)。

父の施設での滞在期間がどれぐらいになるかはじめは分からなかったので、私は何度かシュミレーションして、父の年金と貯蓄が耐えられるのは何カ月ぐらいか計算していました(お金の面でも母は父に早く施設を出られるよう、頑張ろうと励ましていました)。

一方でバウムクーヘンや水ようかんやゼリーを土産にして、とろみのない普通のコーヒーや紅茶を飲んでいる父と広間のテーブルを囲んで私の家族とテレビの話しをしたり、近況報告をしあったりする時間は、病院の面会時間とは全く違っており、とても安心できる明るい楽しい場所であり、父が実家に帰れる日は近いのではないかと私はだんだん感じることができました。

母が父の施設に通うのが3か月近くたった頃、母にとってはかなりしんどい労働になってきているのではないかと、私は少々不安でもあったので、早く父を帰宅させてあげたいと思っていました。

そしてとうとうその日が来ました。

4月の桜が咲き始めた頃に、父は見た目にはただ足が悪くて車いすを使う普通の老人のようにまで回復しており、担当の医師と看護師の方々と相談して、母は父を施設から出すことを決めました。もちろん本人も大喜びです。

母は在宅介護はできるだけ介護支援の人の力を借りながら、食事の世話などは頑張ると張り切っていました。(私は母の強さと健康に本当に感謝しています。)

そして昨年秋に父が一度退院して自宅に戻り(10日後に腸閉塞で再入院になってしまったのですが)、その時にお世話になっていた介護支援の方々にまたお世話になることになりました。

4月半ばにやっと自宅に戻れた父は、嬉しそうに久しぶりの自宅の中を車いすで動き回り、懐かしんでいました(前回の短期間の帰宅時は、父はほぼ寝たきりだったのでずっといい状態です)。
食事も毎回、ダイニングまで車いすで出てきて食べ、トイレに関してはお小水はベッドそばで尿瓶でとり、大は車いすでトイレまで行って母が見守る中、自分で用をたせているようです。

あとはお風呂をどうするかで、週2回施設まで行って入って来てほしい母の望みを父は一蹴して、結局自宅で介護用の風呂椅子を使って母が見守る中、シャワーを浴びることにしたようです。

ここは私としては何かあったら不安なので、おいおい専門の介助の方にお願いできたらなあと思っています。

在宅介護でも医師と看護師が、入れ替わりどちらかが毎週自宅に来て父の様子を見てくれるようなので、安心です。

昨年8月中旬の父のがん手術から紆余曲折あり、歩くことはできなくなった父ですが、それでも自宅に戻って夫婦で暮らし、普通食まで食べられるようになった現実に私は感謝し、少しでも長く夫婦で一緒に自宅で暮らしていたいという両親の望みを私も叶えてあげたいので、私も両親を見守りながら、できることは惜しみなくやっていこうと思っています。

話しは少しそれますが、現在私の父、伯父(母の姉の夫)、義父、義父の弟、この4人ともが車いすの生活となり、その妻たちに介護してもらう状態となってしまっています。

私の娘たちはこの8人を見ていて、介護される側も介護するほうもどちら側も大変なのが理解できるので、そうならないようにするにはどうしたらいいだろうと考えているようです。

私が若いころ、母と伯母が力を合わせて寝たきりの祖父母と自分たちの弟の介護をしていたのですが、その頃よりも格段に介護の世界は進んでいるとは感じますが、それでも介護の問題がなくなることはありません。

私と夫は今は健康ですが、将来どうなるかわからないので、いかに健康寿命を延ばすことができるかが今の私の課題です。

お読みいただきありがとうございました。記事が何かのお役に立てれば幸いです。

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