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美容室に行くのは、綺麗になるためでもイメチェンするためでもない

3年間、私の髪型はずっとボブだった。

一口に「ボブ」と言ってもいろんな髪型があるけれど、私の場合は「ギリギリ肩にかからない長さで内巻きにしたボブ」という感じ。担当の美容師さんが変わっても、美容室を変えることになっても、一貫して同じ髪型をオーダーし続けてきた。

この髪型にこだわっていたのは、自分自身に一番似合う髪型だと思っていたからだ。顔の丸みを隠すこともできるし、表面の毛が長いからつるんと綺麗にまとまる。朝のセットもしやすい。お気に入りの髪型だった。

それをバッサリ切ったのは、今年の春の終わり。桜の花が散り、瑞々しい新緑へと生まれ変わろうとしていた季節のこと。切った理由は、ただひとつ。髪が邪魔だったから。

いや、正確に言えば、「育児をするのに髪が邪魔だったから」だ。

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桜が満開の頃、私は長男を出産した。お産は予定より19日も早かったけれど、母子ともに健康そのものだった。「頑張って生まれてきてくれてありがとう」と心の底から思った。「絶対に私たちが守るからね」と強く誓った。

産後は、我が子を眺めるたびに感極まって泣いていた。「細い産道を頑張って通ってきてくれたんだなぁ」とか、「お腹の中にいたときに胎動で感じていたしゃっくりを目の前で見られるなんてなぁ」とか、本当に些細なことでいちいち感動していた。

我が子が生まれてきてくれた喜びを感じる一方で、出産直後から始まった育児は、想像を絶するほど大変だった。母体がボロボロであちこち痛いことも、「我が子を死なせないように」と常に気を張りつめていることも、授乳やおむつ替えも、母親1年生の私にはすべてが初めての経験。

産後の入院期間がいよいよ明日終わる、という日には「家に帰っても同じように育児できる自信がない」とわんわん泣いた。入院期間を延長しようかと本気で悩んだ。

大きすぎる不安を抱えたまま予定通り退院した私は、案の定、帰宅後も常にピリピリとしていた。夫婦二人だけでこの子の命を繋がなくてはいけない、というプレッシャーが私を苛立たせていた。

夫の言動すべてにイライラしたのはもちろん、自分自身のことにもイライラしていた。そんな中、授乳中に垂れてくる髪の毛も、イライラの対象となった。

ボブだった髪の毛は、後ろでまとめて結ぶには微妙な長さだ。結べるのは後ろの髪だけで、サイドの髪はほどけて垂れてきてしまう。授乳するときは、子供の口元や自分の乳房をしっかり見ていなければ、上手く飲ませることができない。しかし、垂れた髪の毛がちょうど視界を遮ってくる。

慣れない育児、上手くいかない授乳、思うように動けない自分、産後ずっと続いている寝不足、視界を邪魔するサイドの髪……

もう、限界だった。

爆発寸前のイライラを両腕に抱えた私は、夫に2時間だけ時間をもらい、近所の美容室へ行った。そして、こうオーダーした。

「バッサリ、ショートカットにしてください」

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その日、美容室から帰った私を見た夫の顔は忘れられない。明らかに「誰?」という顔をしていたからだ。それもそのはず。夫はまだ、私のボブ以外の髪型を見たことがなかったから。

驚いた顔の夫は、言葉を選びながら「思っていたより短く切ったんだね」と言った。まだきちんと目が見えないはずの我が子も、心なしかよそよそしい態度で私の腕におさまった。

一方、私の心はとても清々しかった。心置きなく育児ができることが、ただただ嬉しかった。両手いっぱいのイライラは、美容院に置いてきたみたいだ。

髪の毛に視界を遮られることなく授乳ができる。なんなら、お風呂上がりのドライヤー時間も短縮できるから、泣いている我が子のもとへすぐに駆けつけることができる。

美容室から帰ってきた私には、ボブにこだわっていた理由が、かけらも残っていなかった。「いかに自分に似合うか」よりも「いかに育児をしやすくするか」ということしか頭になかったのだ。

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息子が生まれて8ヶ月が経った今、育児にもだいぶ慣れてきた。授乳は、息子の口元を見ていなくてもできるようになったし、息子も上手に吸えるようになった。あと数ヶ月もすれば、授乳自体、終わるかもしれない。

美容室には2ヶ月おきに通っているけれど、私はまだショートカットの髪型を続けている。きっとまだ当分は短いままでいるんだろうと思う。

握力のついた息子に全力で髪を引っ張られても平気なように。私の入浴中にぐずって泣きわめく息子のもとへ、一刻も早く駆けつけられるように。髪に視界を遮られることなく、愛しい息子を見つめられるように。

母として、我が子と向き合いたいから、私は美容室に行って髪を切り続ける。

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