ナウい人生
今ふっと、月曜から夜ふかしで飯に金をかけるのは排泄物にお金を払うのと一緒、と言っていた人を思い出した。咄嗟に口から出た言葉かもしれないし、テレビの取材で舞い上がり、かましてやろうと思った可能性もあるので、この発言をその人の純度100%の思想として掘り下げるのはお門違いかもしれないが、結論から言って正しいと思う。子供の頃、家族に旅行に連れて行ってもらったときに、何故父母はキーホルダーやご当地なめこキーホルダーを買わずに(なめこを栽培する、当時流行っていたゲーム)、紅芋タルトや六花亭のバターサンドを買うのだろうと不思議に思っていた。食べたらなくなってしまうのに。これは少し違うが、私は髪を切るのに2000円以上かけたことがない。これは自慢でも何でもなく、同じ髪型を数ヶ月キープしておけるのならともかく、一ヶ月くらいでまたどうせ伸びるのになぜその短期間のためだけにお金をかけなければならんのだ、こりゃけしからんビジネスやでほんま、と思ってしまうからである。だが、ここで疑問が生じる。そのセーブした分のお金はどこで使う?例えば私だったら美味いご飯を食べる?ゲームのカセットを買う?旅行をする?貯蓄した金銭を支払い、商品やサービスを享受するのはその時その時で美味しいものを食べてお会計するのと何ら変わりはないのではないか?そうかそうか、何にお金や時間を使うことに価値を見出すか、という信念が人によって違うだけだからこうなるのか。ご飯をサプリに置き換えて1食のコストを抑え、時間をセーブし、その分を仕事や趣味に当て、お金を稼いだり幸福感を得たりする。そんな人がいる一方で、1食の食事を重んじ、それが自分に与える満足感をガソリンに日々を生きている人もいる。もしお金を貯めることだけが目的なら、さっさと死んでしまう方が1番お金がかからない。ややこしいことに自分は後者であり、今食べているご飯の温かさや、旨味を含んだ唾液が口の中を満たす感覚が好きだ。飯を食って、うんちをして、うんちを食べて、うんちをする。そのプロセスこそが生きることの目的出会ってもいいと思う。
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