写真と記録をつなぐ旅 ~上湧別町立上富美小学校の息吹~ Ⅱ
土星暦2年???
大正13年6月22日、特別教授場としてはじまった上富美校は、
昭和61年3月23日、閉校式を行う。
およそ62年の歴史があるというのに、この人間ときたら、
「土星の暦(公転周期約29年)なら2年ちょいか?」
などとトンデモナイことをつぶやいていた。
昭和25年12月 中学校(当時)新校舎完成
昭和34年10月 体育館建設
「トイレの位置変わってる。体育館は建て増しだ」
……見るとこ、そこか?
昭和44年8月 便所改修工事完了
煙突も変わっている。
昭和40年1月11日 吹雪のため煙筒大破
どんまい (^_-)-☆
実は玄関も変わっていて
玄関の屋根付近に、改修したあとが見える。
向かって右側が職員室で、さらに右側には校長住宅が併設されていた。
それにしても古い。
上湧別町の記録では
昭和53年 中湧別小学校 校舎新築(当時の児童数474人)
昭和55年 上湧別小学校 校舎改築(当時の児童数247人)
昭和58年 開盛小学校 校舎改築(当時の児童数45人)
とあり、本来ならこの学校も新築の話がでていてもおかしくはないのだが、いかんせん、児童数は昭和50年度以降ずっとひと桁では、でるはずもない。ただ、若干の改修工事はしていたようだ。
昭和48年12月 屋根トタン修理
(昭和49年3月 屋根トタン大破 ← 箇所不明)
昭和55年 廊下フロアはりかえ
昭和57年 給食室に流し台設置 屋体内壁修理 校舎屋根ペンキぬり
昭和59年 屋内体育館石油ストーブ設置 水道の修理
「天王星(公転周期約84年)暦1年終わるまで待ちたかったんじゃない?」
……もはや何も言うまい。
へき地校で 小規模校で
どんな計算をするかは省略するが、昭和52年の記録ではへき地2級の学校だったという。なおこの数字はへき地であればあるほど数字が増えていくもので、離島にある学校ならもっと数字が大きくなるそうだ。
児童数が少なくて、昭和40年代なかごろから閉校・統合の話はあったそうだ(当時の学校長回想録より)
でも、学校の先生がたの努力や地域住民の協力で、なんとか維持。それだけで本が一冊できるんじゃないかってくらいの内容である。誰かつくらないかなあ。 ← いたらすごいw
それは、ここから5キロほど離れていた富美小学校でも、似たような話はあったようだ(富美自治会百年記念誌より)
小規模校なら避けて通れない話なのだろう。
それでも
そんな小規模校でも、ちゃんとした教育の営みがあった。
「 Ⅲへつづく !(^^)! 」
ホントだな?
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?