湧別のりんご おぼえがき その3
はしょり、はしょられ ふり、ふられ
小難しいこといっても仕方ありませんのはっきり言います。
りんご栽培に限らず、農業は博打みたいなもんです。長く農業やってる方や代々続けて農家だという方はそう言います。ぼやきます。
とにかく、「おかみ」や「のーきょう」などから、あれ作れこれ作れ、あれは儲かるとか、いまの情勢はこうだから、こうしろとか、この畑ならこれがいいとか言われたり。言われた通りにやってうまくいけばいいけれど、そうじゃないって時もある。
たまに儲かった (^^♪ とおもったら、機械買え資材買え倉庫たてろとか(暗に)促され。
豊作のときはお天道様に感謝するけど、不作のときは文句を言ってみたり。思わぬ病害虫発生に慌てたり。
農業経営において、心休まる時なんて、ほとんどない。
去年儲かった野菜を増やしても、今年も儲かるとは限らない。
だから、農業をやめるひともいる。経営だけが理由ではないけれど。
……と、昭和時代をはしょってみました。要するに、そういうことです。
昭和20年~25年はりんご栽培の黄金時代だったそうで、
昭和23年、上湧別村農業協同組合が発足
(昭和28年 上湧別町農業協同組合と改称)
してから、
昭和29年 果樹貯蔵庫建設(現在は改修され、飲食店として使用)
で、保存対策。
これ大事ですね~レンガ造りで、おしゃれな感じの建物です
昭和39年ごろの主体品種は 旭、デリシャス
うん、旭は強いね~
いまでも、「上湧別のりんごといえば、旭」という方は多いです。
町内での栽培面積は、
昭和40年ごろ 300ha
昭和47年ごろ 250ha
で、この時代をピークに、減少していきます。
その理由は、
台風で木が倒れたり(昭和29年、昭和45年)、病気(ふらん病、黒星病)が発生し、どうしようもなくて 木をぬいたり(昭和46年~昭和47年ごろ)して りんごの木がなくなっていったことや、
他の、安定した収入のある野菜(当時はビート、アスパラガスなど)をつくりはじめた農家が多かったことが大きいと思われます。
もちろんなかには離農も……
そして伝説に……?
農協関係の資料によりますと、
昭和44年 りんご集出荷貯蔵庫 建設
(現在も農協の施設として使用中。国道242号線沿いにあります)
昭和50年ごろ? りんご選別機導入
と頑張っておりました。んですよ。
「学校給食に(町内産の)りんごが出たことがある。あのすっぱいりんごをまた食べてみたいねえ」
なんて言うのは、ワタクシだけではありませんw
農協(現在JAともいわれていますが、これは愛称です)には、その地域でつくられている作物ごとに専門部会というものがあります。そして当然ながら、つくる野菜などによっては新しくできるものもあり、やらなくなれば、なくなるものもあります。
昭和62年 果樹専門部会 解散
か~ら~
平成11年 りんご栽培面積 2ha
という記録が、いま入手できる最新記録です。
数字だけ見ると、ちょっと寂しいのですが、そうはいかんぜよ🎵
その後は足を使い伝聞を使った覚書みたいなものになるのでご容赦ください。
現在(~令和5年)のあれこれ
湧別町(平成21年、湧別と上湧別が合併してできた町)にある農産物直売所にて、町内産のりんご発見。品種はレッドゴールド、旭。など
直売所は営業期間のみですがSNSで情報発信もしています。気になる方はぜひぜひ検索してみてください。
情報発信していない直売所もありますが、秋ごろにのぞいてみたら🍎売っていることがあります。けっこう人気があるみたいで、見つけたら即買いをおすすめします。後でまた来て買おうと思っても、売り切れとか~(経験者は語る)。国道沿いにありますので、ドライブついでにどうぞ~(宣伝)
ざっくりとした地図を載せておきます。
店や品種によりけりですが、おおよそ ひと袋5個入りで500円(税抜き)と、お手頃価格。これは嬉しい。
袋を開けてから感じる、あのりんごのかおり!
ひとくちかじるごとに訪れる甘酸っぱさ! 幸せ~♡♡♡
たくさん確実に欲しい、といってりんごをつくっている方から直接、箱買いした、という話もあります。これを、昔上湧別に住んでいたという方に送ったら、懐かしくて、ものすごく喜ばれるのだとか。
それでも、数が少ないとはいえ、りんご栽培はたいへんなので、そろそろりんごの木を切ろうかと考えている方もいらっしゃいます。誰か継承してつづいたらいいなあ~という切なる願いをこめて、湧別のりんご おぼえがき完結です。
読んでくれた皆様へ
読んでくれて、ありがとう!
追記 明治41年ごろの記録では、渚滑、紋別でもりんごが作られており、
これがほんとうの北限かな?とも思いました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?