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日記「熨斗をつけて汚名返上いたしまする」

あれは去年の冬頃だったかしら。母が家へ突如やってきて、突如やってくるのはいつもの事だから大して気にはならず、相も変わらずあ~でもないこ~でもないと愚痴をこぼすのをふむふむと聞いていた。突如やってくるものだから詩誌をテーブルに置いたまま読みかかけの詩集も開きっぱなしだった。私が詩の勉強をしている事、詩誌に投稿している事、ぽつぽつ入選や佳作を取っている事、全部知っているからさほど気にもせずいた。そして詩誌をぺらぺらめくり、
「いい趣味みつけたじゃない」
と言った。お母さん、趣味とはちょっと違うんだよね、でもまあまあそうゆう事にしておこう。
「お母さんね、あんたが詩の投稿やってるの面白そうだなって思ってね。でもあんたが書く詩ってよくわからないからさ、お母さん川柳やってみようと思ってね。思いつきで書いて新聞に投稿してみたのよ。そしたら名前が載っちゃって!おほほほほほほ!」
いつの間にか母は私に影響されて川柳を書き始めていた。どんな川柳なのか見せてもらうとなかなか皮肉が効いていて面白い。所謂、お年寄りが書くような綾小路きみまろ的な川柳だけど、初めて書いた割にはよく出来ているので驚いた。昔から読書好きではあったが文才はないと豪語していたし。
「あんたも私に似て器用貧乏なのよね。大輪の花は咲かないけど、何でもそつなくこなせちゃうのよね!おほほほほほほほ!」
高笑いすなっ!と突っ込みたいところを堪えて苦笑いするしかない。

思えば子供の頃は周りの大人に
「由紀ちゃんはすごいわね~」
と言われる事が多かった。絵が上手で運動もできて勉強もできた。天才少女とまでは言われなかったが、絵の展覧会、習字の展覧会、運動会ではいつも活躍したし、成績も良かった。当時は小学校で知能テストというものがあって、母は担任の先生から
「由紀ちゃんは知能指数の高いお子さんですよ」
とこっそり言われたらしい。特に努力した訳でもなく、なんか出来たのだ。そんなものは長く続くわけもなく文武両道のすごい子と言われたのは中学生まで。挙句の果てに「二十歳過ぎればただの人」「器用貧乏」と言われるようになった。努力していないのだからそれでいい。

先日、母が家へ突如やってきた。お約束の愚痴をこぼしながら詩集をぺらぺらめくると
「最近、詩の方はどう?」
と聞いてきた。一通り愚痴は吐き出し切ったようなのでほっとしたところだよ、と応えそうなところを堪えて
「ちょっと低迷期かなぁ。でもがんばってるよ」
と応える。実際に自分が書く詩のスタイルみたいなものができてしまい限界を感じていた。
「お母さんもね、川柳がね~。あれ以来全然だめでね~。やっぱりお母さんもただの器用貧乏かしらね~。」
一緒にすなっ!と突っ込みたいところを堪えて苦笑いするしかない。すると意外な言葉が続く。
「お母さんね、来週から川柳の教室に通うことにしたの。調べたらね、なんだか俳句だの川柳だの、そうゆう教室ってあるのね。ほら!絵とか物として残る物は死んだ後にみんなに迷惑かけるじゃない?  でも川柳は物じゃないからだれも困らないでしょ!おほほほほほほ!」
母は昔、器械体操の選手になりたかったのだ。高校生の頃はそこそこ活躍していたらしい。祖父に反対されて違う道へ、洋裁学校に進んだのだ。女が大学に行く時代ではなかった、女が股を広げて体操なんてする時代ではなかったらしい。川柳は本気かっ。

なんだかわからないけどさ、お母さん。
何処ぞの誰かさんに「器用貧乏」なんて汚名、立派な熨斗をくっ付けて返してやろうじゃん!!

生まれて初めて母の高笑いに背中を押された、そんな一日だった。

#日記 #器用貧乏#汚名返上

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