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過保護に育てられたその先にあるもの

28歳になった私と友達は、もう10年以上のつきあいだ。
高校時代に知り合った彼女とは、たまに疎遠になりながら、たまに頻繁に会う関係を、もう何年も続けている。
大人っぽくてシンプルを好む友達と、子供っぽくてリボンやフリルを好む私は対照的だけど、いくつか共通点だって持っている。
そのうちのひとつが、私たちはどちらも過保護な親に育てられたということだ。

女子高生はまだ10代で、少女から抜け切れていないし、危なっかしいところだってたくさんある。
わかったつもりでいたことだって、後から思い返せばわかっていなかったことばかりだし、周りの大人に助けられたことも数知れず。
ある程度守られていることって、思い返しても必要だったように思う。

でも、あれから10年が経った今、私たちはもう、28だ。
誰とどこに行くかもどこに住むかも急な予定変更も、全て縛られている時代は、本来であればもうとっくに終わっているんだと思う。
それでも私たちは、それら全てにいまだにがんじがらめにされている。

いくつものカップルとすれ違いながら都会の道を二人で歩いている時、ふと友達が正面を見たまま口にする。
「最近いい人いないの?って親から言われるんだよね」
えっ、それって。
「そんなこと、今まで自分がどういうことしてきたかわかって言ってるのかな」
そうだよね、我慢していい子でいたことが報われないよね。

何かで過保護に育てられたその先、ある程度の年齢になるとそうやって、急に"いい人いないの?って言われる"って読んだ。
私たちは28になったから、そういう時期に差し掛かったのかもしれないね。
そういうチャンスを活かせなかったのは、制約があったせいでもあるんだけどって、そんなことは言ってももう遅いし、言ったところでどうにもならない。

私には付き合って長い恋人がいて、恋人ができたことで嘘をつくことが上手くなった。
もしかしたら嘘はずっと前からバレていて、両親はただ話を合わせて見えないフリをしているだけかもしれないけれど。
"親に怒られるから"できないことのいくつかを、私は嘘をついてたくさんやってきたけれど、それでもそのうちのいくつかは"親に怒られるから"諦めた。
親には恋人のことを一言も話していないし、知り合ったいきさつが話せる未来がいまだに見えない。
年齢だけ重ねて大人になっても、親がつくりあげてきた枠線を踏み外すことは、いつになっても許されない。

過保護に育てられた私たちは、理由がないと外の世界に踏み出せない。
それを何度も問われてしまうから、その問いに何度も答え切らないといけないから。
だけどそれって、今本当に必要なことだったっけ。
大人になった今もなお、問われ続けることだったっけ。

親にとって子供はいつまでも子供だけど、過保護にし過ぎるそのせいで、逃してしまう未来がある。
それに反抗できないことも悪いかもしれない。
大人になってなお、自分の意思で跳ね飛ばすことができないことも悪いかもしれない。
それでも、友好的な関係性で居続けたい気持ちだって、そうできない私たちの背景にはある。

過保護はある程度、親が子供を大切に思うから行われるものだとは理解している。
私たちだってもう大人だから、それくらいちゃんとわかっている。
でもだからこそ私たちの持つ意思もしっかり、同じくらい尊重して欲しい。
「いい」「悪い」を押し付けようとし合うのではなくて、一緒に創り上げていけたらその先に、きっといい未来が待っていると信じたい。

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