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行き過ぎた負けず嫌いは不幸を生み出す
「TOEIC受けようと思って」
ふとした日常、恋人が言う。
「今なら800点くらいとれるかな」
それは私の目標点数で、まだ少し到達できていない。
これだけで少し苛ついてしまうくらい、私は良くない風に負けず嫌いだ。
繋いだ手がいつの間にか、指相撲に変わる。
触れ合う指が、忙しなく上と下を交叉する。
親指を押さえつけて、数を数え始める。
いつも始めるのは恋人で、勝つのは私。
「本当負けず嫌いだよね」
そう言ってカラカラと笑われる。
いつだったか、鳥人間コンテストへの出場を目指す団体に少しだけ出入りしていたことがあった。
初対面のお兄さんと模型の飛行機をつくって飛ばした時にも、同じことを言われた。
「負けず嫌いでしょ」
そうやってその人も、やっぱりふんわりと笑った。
勝ちたい。
この見た目でそんなことを言うのかという感じではあるのだけど、勝ち負けが発生するシーンではとにかく勝ちたい。
本当は戦いたくなんてないけれど、勝ち負けはどこでも出てきてしまうから、出てきてしまうからには勝ちたい。
ゲームの進捗も、テストの点数も、持っている経験も、読んでいる本のページも。
でも現実に全て勝つことなんて不可能だし、そんなことにいちいち負けたと落ち込んでいたら身が持たない。
そもそも私は体力がない。
人生は勝ち負けではない。
本当に、そうだと思う。
それでもやっぱり、勝ちたい。
見えるものでも見えないものでも、客観的にいいとされるものを持っていたい。
それ自体は向上心に繋がるしものすごく悪いことではないのだけど、でもこれは行き過ぎると不幸を生み出す。
誰かが自分より"客観的に見て社会的にいいとされるもの"を持っていたとき、素直に喜べない。
負けたと思ってしまって。
負けたと認めたくなくて。
「あぁ良かったね、すごいね」と、心から思い祝福することができない。
どうにかして勝ちたいなんて、ここで思うのは場違いで呪縛だ。
"客観的・社会的にいいとされるもの"をいくらも持つことは不可能だから、"自分が本当に欲しいもの・大切にしたいもの"をきちんと持って、それを手放さずに大切に育て上げることの方がよっぽど大事だ。
全部勝つなんて無理な話で、自分にとって今必要でないし大して欲しくもないものを"負けたくないから"という理由だけで取りに行くのは間違っている。
次の指相撲では意図的だとバレない程度に、こっそり手を抜いて負けてみよう。
そんなことをしたらきっと今度は、「今日どうしたの?」なんて言われてしまうだろうけれど。
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