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朽ちるまで、愛でられたい。

こんばんは、といです。

人と直接対面する機会が減ってから、
大分慣れてきたような気がします。

リモートでの会話も日常になってきたように思います。

でも、たまに、無性に、何かに押し潰されそうな気持ちになる事もあるのです。

空間でしょうか。環境でしょうか。
(いいえ。私は私自身に押し潰されそうになっているのではないか)、と感じています。

希望の花 Garbera

猫と暮らす空間でも飾れる花、ガーベラ。
花言葉は「希望」。

ガーベラは通年手に入るそう。
そして長い間いろいろな表情を見せてくれます。
花弁の端の色が少しずつ変わっていく様は、
歳を重ねていくようで美しい。

その横を猫は素通りしていくのだけれど。

こんなにも綺麗なのに。

「朽ちるまで、愛でる。」

雑誌BRUTUSのガーベラを長持ちさせる為のコツをまとめたページを読みました。

ページの端に書いてあったのは、
「朽ちるまで、愛でる。」

なんて秀逸な言葉選びだろう、と。

そのコツも今まさに実践中。
素敵な花器になりそうなものはないだろうか。

花弁をボウルに浮かべて

枯れ際は花弁を水盆に浮かべるのだそうで。
台所の隅をつついてみる。

飲み水と間違って猫が舐めてしまうのでは?
と思うけれど、ガーベラには何処にも猫にとっての毒素は無いのだと言われている。

猫飼いには、
正に、真に「希望」なのかもしれない。

今の私に必要なもの

以前、「今の私に無駄なもの」という記事を書いたことがあって、それは結論として体重を減らしたいという文章だったのだけれど、

紛れもなく、今の私に必要なのは「希望」だと近頃思うのです。

それは、花であり、家族であり、日々の生活であり、noteという記録であり、いろんなカタチであるけれど。

私はそれをひとつひとつ丁寧に選り分けながら道を通っているところなのかもしれないと感じています。

だから、朽ちるその時まで愛でたい。
そして、朽ちるその時まで愛でられたい。

私は欲張りだからどちら側でもいたい。

そんな雨宿りの午後です。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

とい。