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キセキ / 苦くて濃いそれが私の読みもの飲みもの

あなたの言葉に触れるとき私は音楽をかけたくなるの。薄っぺらいレコード盤にすぅっと針を静かに落としてね。

ゆるっと気だるさを纏わせた音

そんな音楽を聴きたくなる。もちろん傍らには苦くて濃いコーヒーを準備して。それだから私、今から苦くて濃いコーヒーを淹れてあなたに会いに行くから。

そう、それが苦くて濃い恋なのでしょうから。


noteを読むときのスタートはありますか?私はといえば「今日は読みますよ」「さぁ今から読みますよ」の時もありますし、ふらっと読むときもあります。そんな時は決まって傍らにコーヒー。初めから準備している時もあります。ふらっと読み始めたときには、中盤でコーヒーを必ず淹れたくなります。

音楽もそう、それ。初めからコーヒーと音楽がセットの時もあれば、途中からの時もあります。

コーヒーを淹れるといっても「淹れる」ではなくコーヒーマシーンでガガガー、じゃぁ〜という感じです。音楽の知識はほとんどなく、レコードは実家で幼少の頃に童謡を聴いたぐらいです。なのでもちろんnoteを読む時に聴くのはレコードからのそれではありません。

喫茶店でマスターに淹れてもらう苦いコーヒーと、空気のように自然とそこに居座るような音楽を聴きながら。そんな空間でnoteをいつか楽しみたい。贅沢な読書。

それが私の読書。

装丁されて棚に並べられた、それだけが「確かな本」ではなないような気がします。それを読むだけが読書でなくてもいい。書を読むから読書というコトバなのかもしれませんが。カキモノは、紙に書いてもほかで書いても読めるのですから。本だけが読書ではない、でいいですよねぇ、と思うのです。

スマホで読んでもタブレットで読んでも。紙でもデジタルでも。装丁された本だけが言葉の深さを携えている、とは限らない。

それが私の読書。

苦くて濃くて恋々しい言葉の数々。静かに動く円盤にあなたの針で軌跡を刻み紡ぐ。そんなnoteを読むことができるのは偶然ですか、必然でしょうか。多く広く読むことが私は難しいのですが、それでもハッとなるものを読んだときの奇跡はとても嬉しいです。

これはきっとnoteの神様の奇蹟のおかげです、ね
キセキってなんだか、いい



Photo by アキスケさん

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