過去の自分から手紙が届いた
脳みそとは不思議なものだ。
ことの発端は数年前に届いた一通の手紙だった。
いじめられていたとかではないのだが、私にはなぜか小学校・中学校時代の記憶がほとんどない。高校時代まで来ると、誰と仲が良かった・何が嫌だったなど覚えていることもそこそこあるのだが、小中時代はわずかに断片的な記憶を残して空白なのだ。
脳は嫌な記憶を積極的に忘れようとするらしい。私の場合、トラウマかどうかも分からないが消えた記憶は自分にとって決して幸せな時間とは言えなかったのだろう。
その手紙はもとは真っ白だったであろう、黄色くすすけた封筒に入っていた。表には黒マジックで「20才の自分へ…」と、裏には10年後に届くようにと実家の住所が添えられている。
全く見覚えがなく、果たして本当にそれは私の手紙なのか自信が持てなかった。手紙の末尾に添えられた署名だけが、それがまぎれもなく自分のものであることを示していた。
しかし、小中学校の記憶がない自分に謎の手紙を書いた記憶も当然残っているはずがなく、私は他人の手紙を他人の手紙を読むような気軽さで手紙を開いた。
以下、原文ママである。
『20才の自分へ
今、自分はピアニストになりたいけどたぶん未来の自分はなれてないと思う。
だって今でさえめんどくさがりだし、お母さんがなるのは難しいって
いったじゃん。
未来はたぶんどっかで独身で一人楽しく暮らしてるんじゃない?
いまは「ジャンプ」にはまってるけど未来もはまっていると思う。
もしや秋葉原でヲタク?今でさえこんなブサイクだったりのろいから未来に全くきたいしていません
でもとりあえずこれからもがんばれ
12才の自分より』
いや暗。
初めてこの手紙を読んだとき、不意打ちで腹にずしんと来るような嫌な気持ちが広がった。
現在の自分と言えば「自己肯定感が高い」を超えて他人から「調子に乗っている」と言われるほどで、思い上がりも甚だしい。だが今は幸せだ。
全く覚えはないが、過去の自分は毎日自分のことを「ブサイクでのろま」だと思いながら生活していたのだろうか。他人から心無い言葉を頻繁に浴びせかけられていたのだろうか。脳みそがなかったことにしているだけで。
何をしていても一年に何度か、ふとあの手紙を思い出してしまう瞬間がある。
拙い文字で、黒一色で書かれた手紙。あの手紙は自分にとって灰色の義務教育時代を記憶を残す数少ない証拠であり、同時に呪いだ。
二度と開くことはないであろう呪いの手紙を、でも私はいまだに捨てられずにいる。
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