映画「A」「A2」を観て書籍「A」を読んだ
寝食を忘れる映画というものがある。
自分は見た映画の記録を残していないので、前はどんな映画に夢中になっていたかは忘れてしまったのだが、「A」は間違いなく寝食を忘れる映画だった。
断っておくと、自分は地下鉄サリン事件以降に生まれた世代だ。だから当時のことはニュースでしか知らない。
当然ニュースではオウム真理教の凶悪性が喧伝され続けていたため、先入観があったはずだったのだが、見終わった後は自分のオウムに対するイメージが、180℃変わってしまうほど大きな衝撃を受けてしまった。
そしてふと恐ろしい想像をしてしまった。もし自分がオウムに対して何の知識もなく映画を見ていたら、団体は、苦難の中神に導かれパレスチナへ向かう栄光の物語「十戒」のように写っていたかもしれない、と。
実際のところ、ほぼはじめて映画を通してみた信者たちは驚くほどにピュアだった。
人間の持つ欲を恥じ、何もかも捨て去り本気で解脱に向かおうとしていた。修行の場はちょっと拍子抜けしてしまうくらいに、和気藹々としていた、当時のメディアや大衆からどんなに暴言を投げかけられようとも、同じ土俵に立たず、己の小さな信念を守り通そうとしていた。
そんな愚鈍に見えるほど純粋な信者が、「転び公妨」で、公安警察から不当逮捕を受けたシーンでは、自分でも驚くほどにオウムの立場になって怒りを覚えてしまった。
そして荒木浩、実のところ私はとても荒木に目を惹かれたのだ。
物腰は柔らかいながら、冴え渡った頭脳で時に毅然とメディアに対応する。広報副部長という肩書きではあるが、事件後広報部としての活動は彼一人に見えた。およそ一番広報に向いていなさそうな人間が、一人でで信者の生活・拠点を守ろうとしているように見えた。
また、彼は他の信者と少し違っていた。ひたすらまっすぐに教義を追い求める他の信者たちと比べて、荒木は一歩引いた葛藤のようなものを感じた。
だからこそ、今日までアレフというオウムの後続団体に残り続ける理由がわからない。飄々として掴めない。この人のこともっと知りたいと思った。
カルト教団の異常性、地下鉄サリン事件、そして連なるいくつもの事件についてはたくさんの著作で語り尽くされている。
しかし、事件と直接の関係はないとされ、唐突に放り出された信者と、導くものをごっそりと失った団体の行く末についてはこれまでほとんど関心を払われてこなかった。
この映画は、そこに光を当てることを試みた、実験的なアプローチの作品だ。映像は貴重であり今の時代に取り返しがつかないだけではなく、見る人の世間常識に挑み、試してくる。
視聴後SNSやレビューを読み漁ったが、感想は三者三様だった。賞賛もあれば、中には森達也監督を「ミイラ取りがミイラになった」と揶揄するものもある。そのどれもが正しくてちょっとずつ間違っている。
だがそれでいいのだ。
この映画がしたかったであろう「あなたは物事をどのくらい我が事・他人事ととらえますか?」という問題提起は少なくとも達成され、自分にとっては数週間頭から離れないほど強く響いたのだから。
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