LGBT親子関係。40歳トランスジェンダー鈴木優希と父。
僕は性同一性障害を抱えて生まれてきた。
今は戸籍も変更して「男」になった。
名前も改名して「優希」として暮らしているが、生まれた時は「英理子」という可愛い名前を付けてもらった。
上に姉がいた為、跡取りの「男」が欲しかった父は「女」と聞いてガッカリしてすぐに病院にも来なかったと後に母から聞いた。
その頃から漠然と「女」に生まれたことに嫌悪感、罪悪感に近い思いを感じていたような気がする。
そして僕は小さい頃から誰にも似てなかった。父にも母にも。
お母さんは大好きだったけど、お父さんは嫌いだった。
厳しくて亭主関白で。優しくてかわいい母は何でこんな人と結婚したんだろうとずっと不思議だった。母に尋ねても「なんでだろうねぇ。」と笑ってはぐらかすばかりだった。
あんなに似てなかったのに
最近、ふと鏡を見ると「父に似てきた」と感じる。
そんなもんなのかな。
僕は顔も能力も、似ていなさ過ぎて違う誰かの子供なのかなんて本気で思った時期もあったけど、今は父と母の子供なんだと確信できる。
それが嬉しくもあり。父に反発していた当時の想いを考えると不思議な気持ちでいる。
父の男としての生き方。仕事での評価。母への愛情。おばあちゃんへの愛情。
今になってしかわからなかった。40年かかった。
だから今、父に似てきたと感じる今。
僕ももう少し出来るんじゃないか。父の血を引いた僕はもっと頑張れるんじゃないか。そう思っている。
今も二人で何かを沢山話すわけではない。でも本当はお酒でも飲みながら聞きたいこと・相談したいことがいっぱいある。
でも残念ながら、その距離にはまだいない。
そして、悩んだ時ピンチの時、一番に「答え」を聞きたいけど、
まず「父ならどうするだろう」と考えてみる。そうすると聞かなくても答えは出る。
父は僕をどう見ているんだろう。
性同一性障害であること。男になりたいんだと。カミングアウトをした時、戸惑う母とは真逆で静かに受け止めてくれた。
でも内心はどう思っているんだろう。いまだに聞いたことがない。
胸オペをした時も、子宮卵巣の摘出手術をした時も、付き添ってくれたけど一切傷は見なかった。
戸籍が「男」になっても弟とのような「男同士」の付き合いとは違う。
姉との「娘と父の関係」とも違う。
気を遣ってくれているのはわかるけど、寂しい時もある。
僕は家族にとってどんな存在なんだろう。
生まれてきて良かったのか。それとも両親を「性同一性障害を抱えた親」にしてしまって、悩ませただけなのか。
僕自身現在はLGBTのセミナー講師・LGBTに向けたオンラインサロンの運営の活動も行っているが、性同一性障害を背負って生きてきた事を前向きにはとらえてはいない。
生まれ変わってたら、性同一性障害ではない人生を生きてみたい。
でもこの家族に、父と母の元に生まれてきた事には感謝している。
僕が子供で良かった?
この疑問はきっと一生言葉にすることはなく永遠に僕の心の中だろう。
ずっと投げかけていく僕の人生のテーマである。
性同一性障害・LGBT・性別違和を前向きにとらえられなくてもいい。
まずは今の自分を受け止めること。そしてどう生きていくか?
迷い、立ち止まりながらでも大切に生きていこう。
鈴木優希のセミナー活動、LGBTについてのコンテンツを掲載しているオフィシャルサイトも是非見て頂けたら幸いです。