
悲しみから得ること。
悲しみの向こう側なんてない。
悲しみと引き換えに得るものなんて、それがどれだけ良いものだとしても代償が大きすぎる。
そんなものいらない。
馬鹿なままでもダメ人間のままだっていい。
一生気付かなくても学ばなくても、
傷付きたくない。いつまでも守られていたい。わがままいって甘えていたい。
神様は、乗り越えられる試練しか与えない。
というけど、それが本当なら神様はいじわるだ。
「乗り越える」ことなんて出来ない。
何年経ったとしても、越えていない。
ただ生きてるだけ。
ただ月日がたっただけで、昨日の事のように思い出せる。思い出すことも怖くて、今も怯えている。
何年経っても変わらない。悲しい事実と共に生きているだけなのだ。
人生楽しいことばっかりなら良いのに。
辛いことなんて起こらなければいいのに。
中2病なことを40歳になった今だって思う。
僕のように神様に目をつけられないように。
その為には、
「人に優しく」思いやりを持つこと。
自分ばっかりではダメ。自分さえ良ければ良いなんて考えは捨てること。
誰かの不幸の元で自分だけが幸せになる事は絶対にない。自分だけは違う。大丈夫。なんて思ってもそれは一瞬のこと。長くは続かないことを嫌でも思い知らされることになる。
誰かのために、大切なものを譲れるように。
人を傷付けてはいけない。
後悔先に立たず。
後悔してからでは、何も返ってこない。
悲しみから得た経験は悲しい。
悲しすぎるのだ。
今、辛い人。
大丈夫。一時の損得、欲望に負けてズルくならず、そのまま真っ直ぐに。
大切なものを失ってから気付く学びより今、習得する苦労の方が幸せだから。
今、苦労出来ることを喜びにしよう。
鈴木優希のセミナー活動、LGBTについてのコンテンツを掲載しているオフィシャルサイトも是非見て頂けたら幸いです。