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カミングアウトの経緯~友達編~   トランスジェンダー鈴木優希の場合

僕は現在性別変更を経て「男」として生きているLGBTのトランスジェンダー・FTMです。

今回は「カミングアウト」について振り返ってみることにしました。


性別違和の当事者にとって、カミングアウトは最大の難関。

まずは、「友達」「好きな子」「両親」「家族」

自分らしく生きていく為には、「嘘」はつきたくない。そして、嘘には必ず限界がくる。

何より自分の心に嘘をつくのが一番キツイ。

ホントは「男」の気持ちで女の子が好きなのに、身体が「女」見た目が「女」存在が「女」なのだ。

性同一性障害というものは、カミングアウトしなければ、誰にもわからない「見えない障害」なのだ。

だから僕は自分が性同一性障害だと自覚した時から、中学生、高校生の時はずっと誰にも「言わない選択」をして生きていこうと思っていた。

簡単に言うと、言う勇気がなかった。

友達にカミングアウトして気持ち悪がられたらどうしよう。

仲間外れにされたらどうしよう。

考えるだけで怖くなった。

40歳になった今当時の心境を振り返ってみると、なんて意味のない悩みで色んなモノを犠牲にしていたんだろう。。と思うけど、学生時代は「友達が全て」「学校の人間関係が全て」だから、本当の自分を打ち明けることが怖くて、嘘をついてでも誰かとつるんでいたかった。

人の目ばかり気にしていた。

もし、この当時の僕と同じ悩みを持っている人が居るならば伝えたい。

人のことは気にするな。今、嘘をついてでも一緒にいたい相手、自分を偽ってなんとか一緒いる友達はあなたの未来にはいません。自分より大事なものなんてない。自分を犠牲にしても相手は何もしてくれない。

いじめの相談を受けたときも同じことを伝えるけど、学校が全て、友達が全てと思うかもしれないけど、それは違う。今全てと思っている世界なんて、とても狭い世界の中の話なのだ。

辛かったら逃げる先は沢山ある。わかってくれる子は必ずいる。

人は、それぞれに大切なものを見つけてみんな生きている。

だから、性別違和を抱えてる僕たちだって、LGBTだって、性同一性障害だって、それぞれに大切なモノを見つけて自分本位に生きていい。

今ならわかる。人の為に自己犠牲することなんて、何の意味も持たない。

では「言わない選択」をしていた僕がなぜカミングアウトが出来たか?

そのカミングアウトをした経緯はどんなものだったかというと。

ついにカミングアウト!そのキッカケは・・・

僕がカミングアウトをしたのは名古屋美容専門学校の1年の時だった。

相変わらず自分に嘘をついて「女」をしていたが、名古屋美容専門学校入学にあたり、一人暮らしを始めたことで「男」の自分を前の様に隠せなくなりつつはあった。

細かい感じだと、部屋の感じ、服装など。でも髪は長いし化粧もしていたから、周りは気付かなかったようだけど。

性同一性障害を自覚してからそれまで、「女」でいる事で自分を守っていた僕と「男」である本当の自分を抑えきれなくなった僕とが複雑に交じり合っていた。

そんな宙ぶらりんな僕を振り切らせてくれたのは、「初めての彼女」だった。一目ぼれした僕は止まらなかった。今まで「友達」で止められた自分の気持ちを止めなれなかった。

今までにないほどの押しの一手で彼女が出来た。

だから、初めてのカミングアウトはその子という事になる。

僕自身、初めて本当の自分を認めてあげた瞬間だった。今でも覚えている。すっと心が楽になって、「本来の自分」でいる自然さを感じることが出来た。だからもう二度とここから「女」のフリは出来なくなった。

これを機に、周りの友達にも知られる事となる。「英理子って女が好きなの?」「レズなの?」

聞かれたら答えた。それが僕のカミングアウトだった。

やっぱり、「恋愛」のパワーは偉大だ。

あんなにも怖かった友達へのカミングアウトよりも可愛い彼女を紹介したい。のろけを聞いて欲しい。理解して欲しい気持ちの完全勝利だった。

そしてこの初めてカミングアウトした彼女、友達は今でも「友達」でいる。

普通の友人関係でも同じだけど、本当の自分をさらけ出すこと、それを完璧じゃなくても、理解する、されることでより深い人間関係が築けるんだと思う。

未だに呼び名は「英理子」だけど(笑)月に一度の女子会は僕にとって大事な場所になっている。

友達にカミングアウトをした僕だったが、親にカミングアウトするのはここからだいぶ時間がかかって何年も後のこと。

それはまた別の機会に。


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