日常の幸せにふとありがたみを感じる瞬間
なんてことないときに、あれ、私って恵まれてるのかも、と思えるときがあります。
最近感じたのは、母とお茶したとき。
母ももう世間的にはおばあちゃんと呼ばれる年齢になりましたが、ありがたいことに、しゃっきりしてて元気。
しばし話してにこやかに「またね」と別れた後に、じわじわと。
何度も言ってきた「またね」が毎回無事に叶っている幸せ。
たぶん次も叶うと信じられる幸せ。
そう考えていると、夫にも考えがおよびます。
いつも優しくしてくれて、懐が深い。
雄弁なタイプではないけど、実はすごい人かもしれない。
私の天使かもしれん、わお、大事にしよう。
毎日お互い無事に帰ってきて会えてありがたい。
職場の人たちも、ラッキーなことにいい人たちが周りを固めてくれた。
新年度になって新しくご挨拶したり、初めて一緒に仕事する機会があったり。
新たな交流で温かく笑顔を交し合えた後に、心がほっこりして嬉しくなる。
私は人間があまり好きじゃないかもしれないと思っていた時期があったのだけど、今でもある部分ではそうなのだけど。
それでも気づく。
私は人と温かい交流が本当はしたいんだなということに。
だから、それができた後に、指先がじわじわするみたいに嬉しさを体感するときがある。
自分がネガティブまっしぐらだった時代から考えるとウソみたいなのだけど、手元にある幸せを数えることに意識を集中することって、本当にできるようになるらしい。
私がそうだから。
こういうことは、きちんと言葉にしたほうがさらにそういう素敵な状況を呼び込んでくれると信じているので(言霊)
だからこうしてしたためよう。
好きな街に好きな夫と暮らせて幸せ。
なかなかに働きやすい職場で楽しい人たちと仕事ができて幸せ。
楽しく暮らすのに足りるお金が入ってきて幸せ。
両親が元気にしててくれて幸せ。
周りの人たちが親切にしてくれて幸せ。
日常で「チッ」と思うことがまったくないわけじゃないのですよ。
もちろん、私だってね。
だけど、そこにフォーカスしないことは自分で選べるようになった。
どうにかこうにか手元の幸せを数え始めたら、嫌なことを考える比重が下がって、楽になったんです。
これ、私の場合ね。
非常にしんどい状況にいらっしゃる方々に、無理やり「幸せなことだってあるでしょ」なんて言うつもりはさらさらございません。
ただただ、私はこうして言葉にしたかったのです。
ありがたいなって、言いたかったから。