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いただいた気付き

南宮さんで気付きを得た。
どういうことなのか、以下noteしてみる。

「望みとは何か?」と神に問われ、答えたのはいいけど、その”解答”は完全ではなかった。大枠としてはいいのだが、一部、輪郭が不鮮明である。

このため、僕は、思いを巡らせ始めた。
少し退行するかもしれないが、やむを得ない。

草刈りのことに思考が及んだ。

「そういえば・・」

僕は、ある一つの出来事を思い出す。
それは、境内での「除草剤」使用について・・であった。

前の前だったか、堤治さんに行った時、境内横手に除草剤がまかれていた。枯れた草の様子から、それは一目でわかる。

これは地元の氏神様

だが、僕には違和感があった。
違和感というか・・境内の「氣」が弱っているように感じたのである。

そこで僕は考える。
御霊さんとの会話が始まる。

僕  「なんか、境内の”氣”が落ちてたよね・・」
御霊 「そうだね。」
僕  「何でだろう?除草剤のせいかな。」
御霊 「なんでそう思うの?」
僕  「うん。草を  

   殺して

    いるからかな・・って。」

御霊 「草刈りもそうじゃないの?」
僕  「いや、草刈りだと、草は死なない。生長点が残っていたりして、ま
    た生えてくるでしょ?」
御霊 「そうだね。」
僕  「除草剤だと、植物は枯れる。死ぬ、と言っていい。神社の境内
    で、”草”という命を、平気で殺しているわけだ。ましてや”埴安
    姫”は、土の神であるわけだし・・」
御霊 「ふむ・・」
僕  「管理のためには、除草剤をやることもやむを得ない時があると思う
    けど、せめてそのことを神様にお断りしないといけないんじゃない
    だろうか?」
御霊 「田んぼではやっているのにね。」
僕  「そう。神社ではやってなかったね・・」
御霊 「じゃあ、次からは改めないとね。」
僕  「うん。」
   「それと、一方で”粗放的有機農業”でもって、草と共存する農業をや
    っておきながら、このことに気付かなかったのは情けないな。」
御霊 「そうだね。このことは君の仕事を少し変えるんじゃないの?」
僕  「うん。ポリシーが変わるね。神社では除草剤を使いません。使う時
    は、神様にお断りしてから使います・・みたいな。」
御霊 「そうだね。」
   「そのことを学ばせてもらったね。」

・・そして御霊さんは消えた。

これは「剣」のことか?


僕はそう思った。

つまり・・
剣とは柱、心の柱であり、かつ、僕の根本となるものだ。

この柱に不備があった。
だが今回、この柱が気付きにより「歪み」が修正され、少ししっかりした。
このために僕は、堤治さん、伊富岐さん、南宮さんを訪れたのではないだろうか?

堤治さんできっかけを与えられ、伊富岐さんで解答用紙に記入をさせられ、南宮さんで「剣」を考えさせられる。

崇敬する神々のコンビネーション。

一方で・・
師匠は言っている。

カタチを握りしめるな


と。

今僕は、企業組合の設立に向けて、指導機関と調整を行っているけれど、僕がやりたいのは、農家を助けるために草刈りをすることであって、企業組合を設立することではない。

だから、企業組合(=法人)というカタチにこだわりすぎてしまうと、先に進めなくなってしまうかもしれない。
実際、そんなこともうっすら感じ始めている。

最初は一個人として仕事をし、その後に法人化する、というカタチでも構わないわけだ。
・・僕がこだわらなければね。

柔軟に、それこそ


のように生きていく。
それはワイオの教えでもある。

常に自分の内側の「柱」を見つめ、外側の「形」は折に触れ改める。そんな素直な柔軟性が必要だ。間違った方向に自分を固定してはいけない。

見つめるべきは、自分の内側と神。


そういうことかな・・と思う。






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