ふ:文章を書くことで得られたもの。
90日以上noteを毎日書いていて、感じたことがある。
自分には書くことが少ないということだ。
どうやら私は毎日大体同じような日々を過ごすのがスキらしい。
朝起きてコーヒーを飲み、メイクをして仕事に向かう。
お昼はお弁当か、何か買って食べる。
仕事の合間にまたコーヒーを飲んだりお菓子を食べたりする。
用がない時は家に帰ってきて夕食、noteを書く。
そういう私でもこの自粛期間に何か努力したことを残したくて始めたnoteだが、何かを毎日書くために「自分に対しての観察力」が鍛えられた。
普段は通り過ごしてしまうような感情や考えを掘り起こし深めて考えないと、毎日書くことなんてそうそう見当たらない。
楽しい、悲しいといった感情に対して、「どうして悲しいのか」「何がきっかけだったか」「そのあとどうしようと思ったか」を自分に問いかけることで書く内容に深みが出てくる。
正直、noteを始めたときは、もっと書きたいことが思いつく、と思っていた。というのも、毎日日記や手帳にやりたいことなどたくさん記載していたし、モノローグが多いほうだから、記載する内容はいくらでもある、と感じていたからだ。
しかし、文章を毎日書くことを続けてみると、
毎日書きたいことを思いつく、というより書きたいことや自分の感情を言語化する事のほうが、よほど難しいと気づいた。
意外と、自分がどうしてこれに関して悲しいと思っているのか、
理由が説明できなかったり、
悲しいと思っているから次こうしよう、
という対策を考えていなかったりする。
なんとなく楽しかったり、なんとなく悲しかったりしているのだ。
そうなってしまうのは、
例えば「英語の勉強がしたくない」という気持ちでも
「めんどくさい」のか、「苦手」なのか、「時間がない」なのか、どれだかわからない。大体、複数の原因が折り重なって感情が出来上がっていて、
これだ!とシンプルな理由を見つけられないのだ。
しかし文章化することによって、気持ちを言語化することができ、
自分はこう考えていたのか、と自覚的になれる瞬間が増えた。
私は特に楽しいことについてなぜ楽しかったのか考えていなかったので、
文章化によって自分を楽しませる、喜ばせるきっかけを
得られることができ、意識的に動けるようになったのは大きな収穫だった。
これからもいろんな方面の記事を少しずつ書いているだけだが、
記事を書くことを続けていければよいなと思っている。
そして、これを読んだ人が何かに気づいたり、
おもしろいな、と思っていただけたら嬉しい。
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