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「つまらない」を乗り越える。

noteを書いていると、おもしろい記事って何だろう。とよく考えるようになった。人が面白いと感じる瞬間は案外いろんな条件があるような気がする。知らなかった情報を知ったというのも、「面白い」だし、情景が想像できて、きれいな文章を読んでも「面白い」だし、新しい発見や視点がある文章も「面白い」だと思う。

では、つまらないとは何だろう。
「面白い」をひっくり返せば、「つまらない」になるのだろうか?

確かに、知っている情報だらけの文章は、「つまらない」、適当に書いた文章は「つまらない」、既知の情報の見方や視点があっても「つまらない」。(とっても、ブーメランな気がする。)それに付け加えて、「気持ちがない」というのも文章をつまらなくさせる原因なのではないかと思う。

話はそれるが、最近「鬼滅の刃」にはまっている。
主人公が絶望的な状況ながらも成長して敵に立ち向かっていくストーリーや、大正時代の古いものと新しいものが絶妙に混じった世界観も、好きなものドンピシャで、はまってしまった。

個人的に、このアニメの好きな言葉がある。それは、自分の意志で行動を決められないカナヲに対して炭治郎が投げかけた言葉である。

「人は心が原動力だから。心はどこまでも強くなれる。」

確かに、何かに立ち向かっていくとき、私たちは気持ちをベースに努力する姿勢を作り上げていく。

悔しい思いをしたとき、この無念を晴らしたいと思って、壁に立ち向かっていくし、未来にやりたいことがあるとき、その将来の輝くイメージに向かって、希望を抱きながら、明るい気持ちで頑張ろうと自分を励ます。

努力家でだれよりも優しい炭治郎が言った言葉だからこそ、本当にそこまでのストーリーで努力してきた姿を見てきたからこそ、響くものがあった。自らも、何度も心を奮い立たせて、精神を鍛えてきたんだろうと想像ができたし、そんな炭治郎の姿に感動してしまう。

この言葉に胸打たれながら、私は、こういう言葉が出てくる人間になりたいな、となんとも普通っぽいことを考えてしまった。いろんな経験をして感情を知り、そのうえで、こういう作品になるのだろうなと思いはするが、そんな成長を自分はできるのだろうか?と思ったが、こういう言葉がわいてくる努力をもっと重ねてみたいなとも安易に思う。

面白いコンテンツはよい言葉で生まれていて、それゆえ人の心を動かすのだろう。そして、その言葉は人の心のうちから生まれる。様々な経験を経ていろんな感情を知り、その経験値が結晶になったような言葉がいつか、少しでも私も、だれかに届けられたらな、と思いながら、日々少しずつ人生を重ねていこうと思う。

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