「キレイ」はだれのためか。
大学のころは、メイクをするのがあまり好きではなかった。何かが肌に塗られている感じがストレスであまり好きになれないし、自分を作りこんでいるような気分になって、自分を出せていないような感覚に陥る。本当はメイクをしたほうがきれいな自分が引き出せるというのに、メイクについていまいち肯定できない自分がいた。ひねくれて考えなくても、メイクは自分がこういう人でありたいということを表現するツールとしてみんな扱っているものでもあると思うが、私は「隠す」というイメージが先に立ちすぎて、悪いイメージを持っていた。自分は隠すほどダメでなく、劣等感を持っていると思いたくなかった。美人とまでいかなくても、顔についてとやかく言われるほど不細工ではないと思っていた。
そんなメイクへの悪い印象が徐々に変わったのは、意外にも社会人になり、「人は外見で判断する」ということを如実に感じ始めてからだった。仕事の中で、「きれいに見える人=自信のある人」というイメージがあり、仕事がもらえるのもある程度、顔(つき)が関係していると気づいた。仕事をもらえなかったり、やる気がないというように言われることが増え、一部の心無い人に、「美人と一緒に仕事がしたかったな」といわれるようになり、無意味に傷ついた。はじめは、「外見と仕事ができるかどうかは関係がないし、どうしてそんなことを言われないといけないのか」と激しく憤った。自分の納得のいかないことに従いたくなかったので、メイクをすることに対して激しく拒否反応が出た。女性らしくする、という風に解釈していたので、「人に媚びて仕事なんて絶対に受けたくない」と思っていた。こんなに私は、劣等感を抱いていないといけない人間なのか、と今まで頑張ってきたことをすべて否定されたような心地にすらなった。
とはいえ、仕事ではやはり評価されていたかった。そのために、自分のイメージづくりをすることは避けられない課題となっていた。自分の良さを引き出すメイク、というものを研究する必要が出てきて、youtubeのメイク動画を見まくり、メイクにいろいろな思いを抱えている人がいることを知った。私の初めのイメージである、劣等感があるとか、コンプレックスを隠すとかそんなことを考えている人も確かにいるが、自分のセルフイメージを高めるためであったり、イメージを変えて気分転換にしたり、メイクにはいろいろな役割があって、みなメイクを楽しんでいることを知った。youtubeが私に、偏見やコンプレックスを必要以上に持つことはない、と教えてくれた。輝いてはいけないなんて思う必要はどこにもないのだ。
女性にとって、メイクとは、隠すばかりではない、新しい自分にアップデートする今や大切な手段である。今は、新しいコスメを試すのも、メイク研究をするのも前向きにとらえられている。これからも新しい自分にメイクを通して変わっていけたら、世界ももっと広がるのかも。
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