見出し画像

70代になってから画家デビュー 「グランマ・モーゼス展 素敵な100年人生」

少し前のことになりますが、
展覧会に行ってから
作者本人に非常に心惹かれた展覧会がありました。

昨年11月から今年の2月末まで
世田谷美術館で開催されていたその展覧会は、
グランマ・モーゼス(モーゼスおばあさん)
の生誕160年記念の
「グランマ・モーゼス展 素敵な100年人生」。


展覧会チラシの紹介を引用させていただきますね。

「モーゼスおばあさん(グランマ・モーゼス)の
愛称で親しまれ、
アメリカの国民的画家として知られる
アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス(1860-1961)。

無名の農婦あったモーゼスは
70代で本格的に絵を描き始め、
80歳の時にニューヨークで初個展を開きました。

身近な出来事や風景を素朴な筆致で描いた作品と
そのユニークなキャリアにより
一層人気作家になりますが、
生涯、農家の主婦としての暮らしをまもり、
101歳で亡くなる年まで描き続けました。」

グランマ・モーゼスは専門的に絵を学んだことは
なかったのですが、
最初は毛糸を使った刺繍絵を作っては
家族などに贈っていたそうです。

でも、リューマチのために
細かい作業が難しくなり、
「絵を描く方がやさしいのでは?」
という妹さんのアドバイスで絵を描き始めます。

そして、あることがきっかけで
グランマ・モーゼスの絵は
ご本人も考えてもいなかったような
人気を博することになるのです。

この展覧会では
絵を描く前に作っていた刺繍絵から
絶筆となった作品まで、
グランマ・モーゼスの幅広い作品が
展示されていました。

すごいなと思うのは、絵を描き始めたのも
70代になってからなのに、
素人が見ても様々な描き方を試していること。

それも、
「きっと楽しんで描いていたんだろうな」
ということが伝わってくるのです。

素朴で温かみのある、
家族や村の人たちの雰囲気が伝わってくる
絵を見ていると、
行ったこともない場所なのに、
なんだか懐かしいような、
ほっとするような気持ちになりました。

そして、グランマ・モーゼスの作品以外にも、
様々な展示物がありました。

例えば、グランマ・モーゼスが絵を描く時に使っていたテーブル。

それは元々は叔母の家族が作って
使っていたもので、
のちにその叔母が彼女に花台として
贈ってくれたものなのだとか。

グランマ・モーゼスはその両脇の支えの板に
きれいに絵を描いていたのですが、
今回の展示で、そのテーブルが初めて米国の外で展示されたのです。 

「あのたくさんの作品を、このテーブルで描いていたんだな」
と思うと、感慨深いものがありました。 

また、彼女の100年の人生には
楽しいことだけでなく、
辛いこともありました。

10人兄弟のなかで育ったのに、
若くして亡くなる兄弟もいて、
6年の間に2人の兄弟と妹を1人失い、
2年ごとにお葬式をしたこともありました。

また、グランマ・モーゼス自身も
10人の子を出産しましたが、5人が夭折。

そして、大人になるまで育った子供たちの中にも
病気などでグランマよりも先にこの世を去る人もいたのです。

娘のアンナが亡くなった時、
二人の娘はまだ小さく、
アンナの夫が再婚するまでは
グランマが二人の孫娘の世話をしました。

展示物の中には、
亡くなったアンナの埋葬から
帰宅する孫たちのために、
グランマが作った人形がありました。

グランマ・モーゼス自身も、
娘を失った悲しみに耐えていたはずなのに、
幼い孫娘たちを少しでも慰めてあげたいという
優しい気持ちが伝わってきました。

お人形は大切に使われていたのでしょう、
90年くらい前に作られたということを思うと、
まだかなり綺麗な状態でした。

展覧会自体もとても良かったのですが、
見終わってからも
グランマ・モーゼスの人生に興味を持ち、
彼女についての本を読んだりしていました。

長くなりましたので、続きはまた後日に。

ちなみに、この展覧会、次の巡回地で
最後に見る機会があります。

4月12日から5月22日まで
東広島市立美術館で開催されますので、
お近くの方はこれから楽しむことができます。

今回も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。


*東京では桜の盛りもすぎましたが、
近所の井の頭公園で、
今年もきれいな桜を楽しむことができました。

カフェで書き物をすることが多いので、いただいたサポートはありがたく美味しいお茶代や資料の書籍代に使わせていただきます。応援していただけると大変嬉しいです。