袖振り合うも多生の縁 in Guildford
1997年、英国滞在中に
ギルフォードという街に行った時、
ギルフォード大聖堂に行こうとして、
道に迷いました。
地図を見ながら大聖堂を探したものの、
イラストでかかれた地図だったので
今ひとつよくわからなかったのです。
道端で地図を見ていたところ、
少し離れたところから、
買い物袋を手にした年配の男性が
わたしの様子を
じっと見ているのに気がつきました。
「あの人に、聞いてみようかな。」
と聞いてみると
「連れて行ってあげるよ。」
と言ってくれたのです。
お年のせいか、
見るからにゆっくり歩いているし、
買い物帰りで申し訳なく、
丁重にお断りしようとしたのですが
「いいからいいから」
と、ゆっくり大聖堂まで
連れて行ってくださいました。
その方はビーンさんといい、
七〇代くらいのようでしたが
その方はわたしが日本人だというと
驚いていました。
というのは、彼は若かった頃、
二年間の兵役の間に
第二次大戦後の占領下の日本に
駐留していたからです。
第二次世界大戦後、
英国連邦占領軍が日本に駐留していたのですが、
彼もその中の一員だったのです。
ビーン氏は広島と呉に駐留していたのだとか。
一九九七年といえば、
その頃から約五十年がたっていたのですが、
彼はまだ
「おはよう、こんにちは、こんばんは、
おやすみ、お茶」
などの日本語を覚えていました。
ビーン氏と話しながら少しずつ大聖堂に近づき、
わたしは何度か
「もうここから見えるから、一人で行けます。
大丈夫です。」
と言ったのですが、
彼は大聖堂までわたしを連れていってくれ、
「あそこが大聖堂の入り口。
あっちに行けばサリー大学だよ。」
と教えてくれました。
そこでお礼を言ってお別れしようとすると、
「ちょっとお茶を飲んで行かないかい?」
と大聖堂のオフィス棟のカフェに誘ってくれ、
紅茶をご馳走になりつつ、
いろんな話を伺いました。
若い頃に従軍した時のことを伺ったり、
わたしの英国滞在のことや
日本の家族のことなどを話しているうちに、
気がつくと二時間近く立っていて、
もう大聖堂の見学時間が終わる時間。
慌てて見学に向かったのですが、
残念ながらまもなく礼拝が始まり、
ほとんど見学することができませんでした。
それでも聖歌隊の美しいコーラスが聞こえ、
ちらりとステンドグラスを見ることもできました
大聖堂をゆっくり見学できなかったのは
残念ではありましたが、
「まあ、その分、あの方とお話できたから、
よかった」^ - ^
ビーン氏は初めて出会った日本人のわたしに
親切にしてくれ、
「You are such a lovely companion.
(君は本当に素敵な話し相手だ)」
と別れ際にはうっすら涙ぐんでいたのですから。
カフェで話していたとき、
「よかったら手紙を書いてくれないか。
若い人の話を聞くのは楽しいからね。」
と言われて住所の交換をし、
その後実際に何度か手紙のやりとりをしました。
ルイス・キャロルゆかりの家Chestnuts
(詳しくは前回の投稿をご覧くださいね)
が一九九七年の六月に売りに出た時も、
ビーン氏は
「君が興味を持つかもしれないから」
とそのことを書いた地元の新聞を
送ってくれたのです。
(上の写真の絵葉書と新聞は、
彼が送ってくれたものです。)
「袖振り合うも多生の縁」と言いますが、
たまたま街で出会って道を聞いただけのわたしに
そんな風に親切にしてくれた彼に、
改めて感謝しています。
ちなみに、ビーン氏と別れた後も
この日の「ルイス・キャロル・ツアー」
は続きました。
ツアーの続きは、現在執筆中の「1997」の
Vol.3が出版された時に
読んでくださいね。
今回も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
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「1997」Vol.3、鋭意執筆中です🇬🇧
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